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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」14 兵法指南 「毛利」との師弟関係

南海高野線三日市町駅前の「多聞丸(楠木正成)大江時親に学ぶ像」。兵法を学ぶため正成が時親の邸宅まで通ったという伝承が残る =大阪府河内長野市(恵守乾撮影)
南海高野線三日市町駅前の「多聞丸(楠木正成)大江時親に学ぶ像」。兵法を学ぶため正成が時親の邸宅まで通ったという伝承が残る =大阪府河内長野市(恵守乾撮影)

 「●三位大江元就綱常紊亂(おおえもとなりこうじょうびんらん)の世に當り獨(ひと)り名分(めいぶん)を明にし大義を揚け兇賊を討伐し貢獻(こうけん)の典を行ひ朝儀の闕乏(けつぼう)を輔(たす)く」

 江戸幕府から天皇中心の政治体制へと歩みを始めたばかりの明治2年2月、明治天皇はこの勅宣(ちょくせん)を下し、長州藩の礎を築いた戦国時代の武将、毛利(もうり)元就に「豊栄(とよさか)」の神号を与え、「永世祭祀(さいし)」を行うよう命じた。戦国の動乱期にあって長く即位式をあげることがかなわなかった正親町(おおぎまち)天皇を財政面で支援し、即位の礼実現に貢献した元就を勤王の観点から評価・顕彰したのだ。山口市には元就を祭神とする豊栄神社が鎮座し、今にその遺徳を伝えている。

 この勅宣の中の元就は毛利ではなく大江の姓で登場している。系図上、毛利氏は鎌倉幕府の重臣で、政務をつかさどる政所(まんどころ)の初代別当(長官)を務めた大江広元の四男、季光(すえみつ)を直接の祖とする。平安時代以来、大江氏は文人の家として知られたが、一方で、雁(がん)の列の乱れから敵の伏兵を察知した逸話で名高い源氏の武将、源義家の師、大江匡房(まさふさ)も輩出した。兵法家としての側面も併せ持つ家だ。

 「元就自身も兵法に精通した軍略家だったが、大江の出自であることを自負し、周囲に強調していた形跡があります」

 長州毛利家ゆかりの美術工芸品や史料を所蔵する毛利博物館(山口県防府市)の柴原直樹学芸員はそう話す。

 同館には、中国前漢時代の軍師、張良(ちょうりょう)の兵書とされる文献が残されている。元就による写本が原本とされ、長男の隆元や孫の輝元が筆写したものが現存している。毛利家では、10世紀に大江維時(これとき)が中国からもたらしたものとされ、大江氏ゆかりの兵書として代々にわたり秘蔵してきたという。

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