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【風を読む】釜石と施政方針演説 論説副委員長・別府育郎

フィジー-ウルグアイの試合を観戦する元オーストラリア代表のスコット・ファーディー(中央)=昨年9月25日、岩手・釜石鵜住居復興スタジアム
フィジー-ウルグアイの試合を観戦する元オーストラリア代表のスコット・ファーディー(中央)=昨年9月25日、岩手・釜石鵜住居復興スタジアム
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 安倍晋三首相の施政方針演説で、唐突にファーディーの名を聞いた。

 少し補足したい。スコット・ファーディーはラグビー豪州代表のフランカーとして2015年W杯の準優勝に大きく貢献した。密集に飛び込み続ける飽くなき献身。突破を許さない果敢なタックル。時に顔面を朱に染めた彼の奮闘が忘れられない。長身を折り曲げ低い姿勢で肉弾戦に臨むプレースタイルは、日本で身につけたものだ。

 若きファーディーは09~11年のシーズン、釜石シーウェイブスの選手として戦い、東日本大震災に遭遇した。自身は高台で難を逃れたが、町に降り、津波で川のようになった道路を流れる何台もの車を見た。

 チームの仲間とともにボランティアの日々が始まった。怪力を生かして施設の老人らを車いすごと持ちあげて搬送し、喜ばれた。東京から豪州の大使館員が車で救出にやってきたが、ファーディーは拒絶した。大使館員が手渡した携帯電話から聞こえてきたのは息子の帰国を望む母親の声だった。「ここに仲間がいるから。帰ったら、きっと後悔する」。母親を逆に説き伏せ、ファーディーは釜石に残った。

ラグビー、トップイーストリーグでプレイする釜石6番、スコット・ファーディー=平成23年9月11日
ラグビー、トップイーストリーグでプレイする釜石6番、スコット・ファーディー=平成23年9月11日
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 12年に帰国後はスーパーリーグで頭角を表し、13年に代表入りした。W杯期間中には外国通信社の取材を受け、震災について「人生を変えた瞬間」と答えている。釜石市だけで1200人以上が震災で命を失った。「サムタイムス ライフ イズ トゥー ショート(時に人生は短すぎる)」。だから、今やるべきことに全力を尽くす。手は抜かない。W杯で見せた全てのプレーが、その思いにあふれていた。

 昨年9月25日、釜石鵜住居復興スタジアムで行われたW杯、ウルグアイ-フィジー戦のスタンドに、ファーディーの姿があった。198センチの彼の周囲には、サインを求める小さな子供たちの輪ができていた。ファーディーは満面の笑みで、これに応え続けていた。彼がどれだけ釜石の人に愛されてきたかを物語る光景だった。

 首相の演説にあったように、ファーディーの取り持つ縁で、釜石市は東京五輪・パラリンピックで豪州のホストタウンとなる。ラグビーなどを通じた交流は、五輪後も長く続いてほしい。すてきな物語として。

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