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【論壇時評】2月号 「100年後の日本」に論壇は? 文化部・磨井慎吾

 やはり論壇誌という媒体自体に着目し、次の100年は生き延びられないだろうとするシビアな回答も複数あった。たとえば米国研究者の渡辺靖は、「一〇〇年後の世界を予測するという本号の発想はいかにも古い。一九二〇年に雑誌『日本及日本人』が行った試みを、性懲りも無く、また繰り返している」として、いつの世もこの特集のような未来予測を求める人間精神の不変性を指摘しつつも、100年後の未来人は「『雑誌』という紙媒体メディアで、ジャパニーズ・ジャパニーズ(日本在住の日本人)を主とする論者によって組まれたこと-そして組み得たこと-を奇異に思うだろうが」と辛辣(しんらつ)なコメントを寄せている。

 日本政治思想史家の苅部直は、オリジナル企画に掲載されていた「物質文明極度に発達思想家生活難で穴蔵生活」という1枚の未来社会風刺画に目を向け、「『思想』をたとえば人文学(あるいは文系の学問)に、『物質文明』をIT社会とかインターネット社会とかに置き換えれば、いまでも同じような危機感を口にする人は、たくさんいる」と説き始める。たしかに学者や作家などの知識人が社会に持つ影響力は、この1世紀の間に大きく低下した。しかしたとえば1990年代の政治改革論議が実際の選挙制度改革、また政権交代に結び付いた事例などを考えれば、「あるべき社会」を語ることで現実を変え得る知識人の力は、まだ消滅してはいない。だから次の100年を経た後も、「人間を考え、時代を診断し、方向性を指し示すような『思想』の言説が生き延びているかと問うなら、それにはイエスと答えたい」と断言する。

 ただし、「思想」の機能自体は存続するが、それを担う媒体は紙の雑誌や新聞などの印刷物ではなくデジタルとなり、また「思想」を表現する言葉もより平俗で日常会話に近いものに変化することは、過去数世紀の人類史の動向からかなりの確率で起こりうる、と苅部は付け加える。すでに多くの知識人がツイッターなどの会員制交流サイト(SNS)、またブログなどで膨大な情報発信や議論を行っている現状を考えれば、そのカジュアルなスタイルが日本語の書き言葉の「標準」に近づいていくのは自然である。メディア史家の佐藤卓己も、文字文明の衰退とラジオ文明の到来という1世紀前の予想を参照しながら、そこから一歩を進めて「百年後の日本語表記はおそらく、音声変換に便利なローマ字に特化されているのではないか」と予測する。過去の展開から未来を考察する歴史家的思考は、こうした超長期的な話題でこそ妙味を発揮するのかもしれない。

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