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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」11 母子像移設 卒業生ら走った

神戸市立六甲アイランド高校にある楠公母子像。昭和11年に建立され、平成13年に同校に移された=神戸市東灘区(恵守乾撮影)
神戸市立六甲アイランド高校にある楠公母子像。昭和11年に建立され、平成13年に同校に移された=神戸市東灘区(恵守乾撮影)

 神戸港沖の人工島、六甲アイランド(神戸市東灘区)。「海上文化都市」と謳(うた)われた島の一角、平成10(1998)年に開校した神戸市立六甲アイランド高校の校庭に、楠公(なんこう)母子像がある。

 湊川の戦いで敗れた楠木正成(くすのき・まさしげ)の首が河内(かわち)に送られてきたとき、嫡子(ちゃくし)・正行(まさつら)は自害しようとする。それを母の久子が「朝敵を滅ぼせとの父の遺訓を忘れたか」と命がけで諭した。『太平記』で有名なこの場面を、像は表している。

 「本校の前身の一つ、神戸市立第一高等女学校の新校舎建設に合わせて昭和11年、教職員や生徒らが浄財を出し合い、建立されました。こちらに移されたのは平成13年です」

 山根修校長は、そう語る。第一高等女学校は、正成殉節地(じゅんせつち)・湊川神社(神戸市中央区)に近い場所にあった。しかし戦後、校舎は移転し、像だけが残されていた。

 「いずれ撤去されてしまうのではと憂慮した卒業生たちが、移設先探しや募金活動に奔走しました」

 当時の事情に詳しい六甲アイランド高校同窓会の元会長、高野文男氏はそう述懐する。

     ◇

 この楠公母子像の発案者は当時の校長、井上権治だ。久子を敬仰しており、生徒の人格形成に役立てようとした。

 井上は教員らと、久子終焉(しゅうえん)の地(大阪府富田林(とんだばやし)市)や、楠木氏の本拠地・赤坂(同府千早赤阪村)に赴いて事跡を調査。協議の結果、像は久子が正行を訓戒する場面に決めた。

 像の原型は岩崎光仁が担当した。岩崎は、皇居外苑にある正成像の制作を指揮した高村光雲の高弟である。久子の面影を伝える文献がないため、岩崎はこんな苦心談を残している。

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