PR

ニュース コラム

【スポーツ茶論】1つの試合にかける思い 蔭山実

東京大学の硬式野球部創部100年を機に開かれた「東大野球部の歴史展」(東京・窯場、東大駒場キャンパス内の駒場博物館)
東京大学の硬式野球部創部100年を機に開かれた「東大野球部の歴史展」(東京・窯場、東大駒場キャンパス内の駒場博物館)

 日本の野球界で20世紀初めに小西善次郎という投手がいた。東京大学の前身の一つである一高の主戦だった人物だ。昨秋になるが、東大野球部の創部100年を機に、東大駒場キャンパスで開かれた展示会に足を運んだとき、その存在を知った。

 一高の野球部ができて15年になる1905年、ある試合に小西投手は「一高の魂を投げる」と言って登板したことが新聞記事に残されている。当時、肩の負傷で医師から投球禁止を言い渡されていた。しかし、試合に投げられる者がなく、「肩はだめかもしれないが、意気は崩れていない」と、登板を買ってでたというのだ。

 それにしても、1日の投球練習が1千球を数えていたとは肩も持つはずはないだろう。試合は途中で降雨中止となり、勝敗がつかなかったのが唯一の救いだったかもしれない。その小西投手は翌年、歴史に名を刻む。負傷からなんとか立ち直り、後に京大に統合される三高との間で始まった定期戦に登板。記念すべき第1回戦で勝利を挙げたのである。

□    □

 日本の学生野球で対校戦といえば早慶戦があるが、一高三高戦のようなものはほかにないだろう。互いの全てをかけて年1回の試合を戦い、「観戦するのも命がけ」と世の中を異様に沸かせた。両校の練習ぶりも尋常ではなかったそうだ。

 「一高もそうだったらしいが、三高の野球部というのも、やはりずいぶんと猛烈な、いや、乱暴に近い鍛え方をするところで、私など入部して外野のノックを受けるときなどは、正直に言って悲鳴を上げた」

 21年当時、三高の選手に、後に英文学者として知られる中野好夫さんがいた。一高三高戦の記録は見当たらないが、先輩格の京大との試合で「7番右翼手」で先発出場し、逆転につながる安打を放ったとある。中野さんは、日没でボールが見えなくなったときに「見えないくらいで捕れんで、三高の野球ができるか!」と怒鳴られたとも述懐している。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ