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【新聞に喝!】教科書事件も見逃すな 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦

首脳会談後、握手をするレーガン米大統領(左)と中曽根康弘首相=昭和58年11月10日、東京・首相官邸
首脳会談後、握手をするレーガン米大統領(左)と中曽根康弘首相=昭和58年11月10日、東京・首相官邸

 11月29日、中曽根康弘元首相が101歳という高齢で亡くなった。翌30日の新聞各紙には中曽根氏の実績が改めて報じられたが、その評価は総じて高いようである。しかし、批判的に論ずべき点も多々あるのではないだろうか。

 私が特に注目するのは、歴史問題に関する同首相の政治判断だ。中曽根政権下での歴史問題といえば、靖国問題だが、「戦後政治の総決算」を標榜(ひょうぼう)した首相は、靖国神社の公式参拝に意欲を見せ、1985年の終戦記念日に決行した。しかし、中国からの猛反発を受け、翌年から断念する。この政治判断について、産経以外の各紙は「現実的な対応」と評価し、良い意味での「君子豹変(ひょうへん)」だと解釈していた。

 中止した判断の根拠は、中国の胡耀邦総書記を擁護することだったが、結局胡氏は失脚、全く無意味であった。しかも中韓から外交カードとして使われるようになり、首相の靖国参拝は、小泉純一郎首相時代に一時復活したものの、現在は事実上不可能になっている。外国首脳の人事のために「豹変」したこと自体、重大な失政と言わざるを得ない。

 中曽根首相が関与した歴史問題はもう一つある。それは86年の第二次教科書事件と、それに連なる藤尾正行文部大臣の罷免問題だ。82年の第一次教科書事件に危惧した保守系の人々が『新編日本史』という教科書をつくり、検定も合格したが、国内で偏向教科書だとの騒ぎが起こり、中韓両国も抗議を行った。この時、中曽根首相は権力をふるって検定をやり直させ、さらにそれに不服だった藤尾文相を、月刊誌で韓国統治を擁護した発言をしたとして罷免している。最初の外遊先に韓国を選び、韓国語でスピーチした首相らしい親韓路線だったのか。慰安婦問題以前の時期だが、現在まで続く日韓歴史紛争の一環となっている。しかし、この問題に言及した新聞はなかったようだ。

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