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【朝晴れエッセー】やさしい時間 全国から力作 一日の始まり応援

 4月から朝刊1面で始まった読者投稿「朝晴れエッセー」。平成14年に大阪本社発行の夕刊1面で「夕焼けエッセー」として始まり、東京本社発行の朝刊にもエリアを広げ新しいスタートを切った。600字から垣間見える日常の喜怒哀楽や大切な人への思いは、共感と感動を呼び、寄せられるエッセーは北海道から沖縄まで、毎月400通を超える。4月から11月までの月間賞作品を毎月の選考会での講評とともに振り返りながら、朝晴れエッセーの魅力に改めて迫る。

玉岡かおるさん
玉岡かおるさん
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 ■書き方のポイント 自己主張せず 客観的に 「複眼」で

 「朝晴れエッセー」をうまく書くには、どうすればいいのか。過去の選考会から、注意点をまとめた。

 まずは、オリジナリティーがあるかどうか。介護や子育てなど投稿数の多いテーマの場合、抜きんでるにはより独自性が求められる。選考委員の玉岡かおるさんは「自己主張せず客観的に書けば、オリジナルの視点が出てくる」という。

 客観性を生み出すにはテーマとの距離感が大切。「喜怒哀楽をそのまま書くよりは、気持ちをセーブして書いた方がいい」。眉村卓さんは「視点を一つにせず“複眼”で書いて」と表現していた。

 読み手に疑問を残さないよう、情報を不足なく書くことも大切だ。ただし詰め込みすぎには注意。ラストの書き方にも気をつけよう。「ありがとう」などの呼びかけは蛇足になりがち。「結論は出さず読者に任せる、思い切りのいい書き終わりを目指して」と玉岡さん。「当たり前の出来事でも、視点を変えればエッセーになります。読んだ人の心を揺さぶるものを目指してほしい。どんどん書いてみてください」と話している。

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 ■悲しい別れも… 「師と仰ぐ」眉村さんへ 読者から追悼エッセー

 選考委員の作家、眉村卓さんが11月3日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため85歳で他界した。日本のSF小説の黎明(れいめい)期を支えた第一人者で、朝晴れエッセーにも温かいまなざしを注いだ眉村さんの訃報に、読者からは追悼のエッセーやはがきが多数寄せられた。

 眉村さんは平成18年から「朝晴れエッセー」の前身である「夕焼けエッセー」の選考委員となり、独自の視点で真摯(しんし)に掲載作品を評価し続けてきた。追悼エッセーには、「師と仰いでいた」「深い感銘を受けていた」「親近感を覚える」といった眉村さんを慕う声が多くあった。

眉村卓さん(平成27年3月撮影)
眉村卓さん(平成27年3月撮影)
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 「ねらわれた学園」など、中学生向けのSF小説に熱中した思い出を懐かしむものも。また、眉村さんが病床にあっても最後まで長編小説の執筆を続けていたことを知り、「私も頑張らねば」と力づけられたという読者もいた。

 寄せられたエッセーの中から、一作品を掲載する。

 ◆眉村さん追悼 『ありがとうございました』

 十一月三日、眉村卓先生の訃報を知った。そう、あの「夕焼けエッセー」、その後「朝晴れエッセー」の選考委員を務めておられたSF小説の大御所作家さんだ。

 面識はないものの、私にとっては学級担任の先生のような親近感さえ覚える。その月の月間賞を決めるエッセーの選考会のコメントが、毎月楽しみだった。

 四十二歳で初めてエッセーを書いて採用され、その後計六回も採用していただけたのは眉村先生が選考会で発信してくださったコメントに刺激を受けていたことは間違いない。ただの読者だった私が「書きたい」という階段を登ることになったのは、読み手と書き手の視点の楽しさを眉村先生が新聞を通じて読者へと発信してくださったからに他ならないのだ。朝晴れエッセーが大人気なのは、選考会でのコメントに背中を押されたり、読み書きの魅力を再確認させられるからかもしれない。選考委員の中でも、時々ピリリと辛い愛のコメントを発信してくださるのは眉村先生で、伝える側の難しさも教わった。

 特別なネタもない田舎暮らしの私だが、日常の切り取り方一つで書き手になれるということは、目から鱗(うろこ)の大発見。ところが最近、辛いことが続いて書くことから疎遠になっていた。もう書けないと、悲観的になっていたのだ。

 「諦めるな」、なんだか眉村先生に喝を入れていただいたような気がして、また書くことにチャレンジしている。

 赤樫順子 45 愛媛県宇和島市

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