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【一筆多論】延命と救命のあいだで 佐藤好美

 本人が望む治療やケアを家族や医療職らと話し合っておく「アドバンス・ケア・プランニング」。厚生労働省が「人生会議」と命名したが、大事なことを伝え切れていない気がする。

 単に意思を表明するものではないと思う。目指すのは本人の意思を周囲が共有し、いざとなれば、現実との“隙間”をどう埋めるかまで幅広い。

 母親を亡くした女性読者から、手紙をもらったことがある。母親が受けた最期の治療に納得がいかないと記されていた。

 元気だった母親が急変し、救急車で病院に運び込まれたのは年始早々だった。よく分からぬままに人工呼吸器がつき、中心静脈栄養が入り、さらに透析が始まる。その過程で原因は血液がんだと分かった。

 母親は常々、「延命治療はしたくない」と言っていた。だから、女性は病院側に「延命治療はやめてほしい」と訴えた。だが、返ってきたのは、「これは延命治療ではなく救命治療だから、もう少し様子を見たい」という言葉だった。

 結局、母親はチューブにつながれて亡くなった。浮腫も生じた最期は、さぞ不本意だったろうと、女性は思いやる。

 医療者側の思いは推測するしかない。ただ、血液がんは、抗がん剤が効けば治る病気だ。母親は抗がん剤に行き着く前に力尽きたが、年齢は60代と若かった。現場の医療職は、治療の可能性を諦めきれなかったのではないか。

 どちらが正しいというものではない。女性の気持ちにも、医療者の気持ちにも理がある。

 もしも、当の母親が意思を示せたら、可能性にかけただろうか。それとも、すっぱり諦めただろうか。

 希望と現実の間には大抵、“隙間”が生じる。

 長くない命なら、人工呼吸器などにつながれて生きるのは嫌だ、と考える人は多い。現代の医学で治療法がなく、死期が迫っている場合には、治療しない選択は受け入れられやすい。

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