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【一筆多論】バチカンと外交協力深めよ 岡部伸

羽田空港に到着したローマ教皇(中央)=23日午後、東京都大田区(宮崎瑞穂撮影)
羽田空港に到着したローマ教皇(中央)=23日午後、東京都大田区(宮崎瑞穂撮影)

 38年ぶりに来日したローマ・カトリック教会の最高指導者、フランシスコ教皇(法王)は、世界最小国バチカン市国の国家元首である。バチカンが大戦中、日本と協力関係にあったことはあまり知られていない。

 世界で約13億人の信徒を持つ教皇は、国際政治に大きな影響力を持つ。全世界に数十万人の司祭を配置し、大国が舌を巻く第一級インテリジェンスを吸い上げる情報網を持っていることが大きい。

 日本がバチカンと外交関係を樹立したのは、太平洋戦争さなかの1942年。昭和天皇実録によると、昭和天皇が戦争終結時に備えバチカンの影響力と仲介外交を期待したからだ。期待通り大戦末期、仲介役として終戦工作に関わる。

 米中央情報局(CIA)の前身である戦略情報局(OSS)工作員だったマーティン・S・キグリー著『バチカン発・和平工作電』によると、同じアイルランド系カトリック教徒だったOSSのドノバン長官の指令を受けてキグリーは1945年5月、バチカンのバニョッツィ司教を通じて、和平を仲介する用意があるので日本側と接触したいと申し出る。原田健駐バチカン公使は、外務省に同6月5日と12日、極秘電で報告したが、「返電」はなかった。

 政府は同6月6日の戦争指導会議で徹底抗戦を確認し、和平するならソ連仲介と決定していたからだ。

 外交史料館に残る外務省記録によると、原田公使は、素性、目的ともに明確ではない一米国人の申し入れは受けられないと回答したとされる。

 また44年12月には、日本の「代表的財界人」が駐日バチカン使節、パウロ・マレラ大司教に、「バチカンの和平仲介受け入れで、日本政府を動かす用意がある」として連合国側の講和条件を求めた。マレラ大司教は、ローマ法王庁に報告、OSSに伝えた。しかし米国から回答はなかった。工作は結実しなかったが、米日の要請を受けバチカンが和平の斡旋(あっせん)に乗り出したことは間違いない。

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