PR

ニュース コラム

【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」3 水戸学発祥の地、受け継ぐ忠義

 水戸史学会事務局長で植草学園短期大名誉教授の但野(ただの)正弘さんは「光圀は若い頃、中国の『史記』にある『伯夷伝』に記された人倫の道、大義を正すことに感銘し、これを重要視していました」と話す。

 建武の新政と明治維新。武家社会を倒し、既得権益に左右されない天皇中心の国家を目指したことは同じだった。明治維新の時代は、西欧列強の脅威という新時代ならではの危機もあった。明治維新は建武の新政の二の舞いになってはいけない、南朝の正統性と正成の忠義を受け継がねばならない-。楠木神社の遙拝壇には、こうした人々の思いが込められている。=毎週金曜掲載

■楠木神社

 明治12(1879)年、常陸国鹿島郡上太田村(現茨城県鉾田市上太田)に創建された。初代宮司は和田勘恵。『楠木神社記』によると、戦国時代の常陸国領主・佐竹氏の一族、小沼義宣に跡取りがなかったため、河内国古市(かわちのくにふるいち)(現大阪府羽曳野(はびきの)市)から上太田村に移り住んで「楠木正成の末裔」と称していた楠正継(まさつぐ)を養子とした。その17世の孫、勘恵が小沼氏から和田氏に姓を変えたとされる。

 本殿には楠木家伝来とされる剣一振(ひとふり)と菊水の紋が入った兜一具が納められている。毎年7月12日の例祭では、南朝神社への遙拝の後、正成を祭る本殿での拝礼へと移る。明治16年1月、国に認められた神社となった。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ