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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」3 水戸学発祥の地、受け継ぐ忠義

 楠木神社には正成を祭る本殿のほか、鳥居をくぐったすぐ左に小高い山がある。この小山は自然のものでなく、人の手で築かれた「遙拝(ようはい)壇」と呼ばれる拝礼場だ。

 遙拝とは遠く離れた所から相手を拝むことで、遙拝壇の頂上には樹齢120年以上という楠のご神木と、南朝方の歴代天皇と武将を祭る南朝神社など4つの石宮が据えられ、頂上参詣のための小道も築かれている。

 〈崇高二丈四尺(高さ約7メートル)、基周十九丈二尺(ふもとの周囲約56メートル)、上平方一丈二尺(頂上の周囲4メートル四方)、以て南朝諸陵を望拝するの所となす〉

 この遙拝壇について、『楠木神社記』はそう記している。勘恵は南朝方の天皇陵を拝礼するために、当時としては大工事の小山を造った。正成のみならず南朝を遙拝している点が、非常に特徴的だ。

 現在の宮司で勘恵の曽孫にあたる和田正彦さんは「勘恵の思いもあり、3年がかりの土木工事で完成しました。神社に参拝する人たちも例祭でも、正成だけでなく、後醍醐天皇以下、歴代南朝方の天皇とその忠臣たちも遙拝します」と語る。

 楠木神社が正成だけでなく南朝方の天皇と忠臣たちを祭ったのは、水戸学と無関係でない。

 水戸学のもとで編纂された『大日本史』では天皇の正統性に重要性を置き、南北朝時代は北朝ではなく、正成が仕えた後醍醐天皇の南朝を正統な皇統とした。そして、その考えは尊王攘夷と結びつき、維新後の明治政府にも引き継がれたのである。

 後醍醐天皇が武家政治である鎌倉幕府を倒して建武の新政を敷いたのが建武元(1334)年。その理想は実力本位の国家の樹立だったが、不満分子を束ねた足利尊氏の反乱でわずか2年で瓦解(がかい)した。

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