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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」3 水戸学発祥の地、受け継ぐ忠義

楠木神社の鳥居。左に見える小山が「遙拝壇」 =茨城県鉾田市上太田(酒巻俊介撮影)
楠木神社の鳥居。左に見える小山が「遙拝壇」 =茨城県鉾田市上太田(酒巻俊介撮影)

 江戸時代末期、欧米列強の脅威を前に尊王による国の存続を唱え、吉田松陰ら明治維新の志士たちの精神的な支柱となった「水戸学」。そのルーツとなった2代水戸藩主、徳川光圀(みつくに)が生き方を崇敬して墓碑まで建立したのが、後醍醐(ごだいご)天皇への忠誠を貫いた楠木正成(くすのき・まさしげ)だ。この光圀の思いもあり、水戸藩(現茨城県)内には今でも正成ゆかりの地が数多く残っている。

 そのひとつが鉾田(ほこた)市の楠木神社。創建されたのは明治12(1879)年で、太平洋沿いを走る鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の涸沼(ひぬま)駅から徒歩約30分、田園地帯の一角にあるうっそうとした森の中に建っている。

 正成は、河内(現大阪府)の武士で、鎌倉討幕から足利尊氏との戦いまで、ほぼすべての人生を畿内で終えた人だ。無縁の関東の地になぜ、楠木神社が建立されたのか。そのいわれについて、光圀が明暦3(1657)年に編纂(へんさん)を始め、明治39(1906)年まで続いた『大日本史』の最後の編集者、津田信存(しんそん)が『楠木神社記』にまとめている。

 〈(楠)公が遺烈(いれつ)に籍(か)りて以て天下の正気(せいき)を培養するに如くは莫(な)し。況(いわ)んや遺物見存、祀(まつ)りて之を神とし、以て誠敬を致す〉

 初代宮司の和田勘恵(かんけい)が正成の功績を祭ることで、この地に忠義や正義といった心意気を養おうと決心したというのだ。勘恵の祖先が正成の「苗裔(びょうえい)(遠い子孫)」と称していたとの記述もある。

 神社が創建された明治12年は、明治維新に対する不満による士族の反乱を経た西南戦争の終結から2年。さらに新政府の藩閥政治に対抗する自由民権運動が盛り上がり始めるなど、新しい時代のひずみが出始めていたころだ。

 新時代になっても己の利のみを追求するのでなく、正成が後醍醐天皇に尽くしたような忠誠心は忘れないでほしい。『楠木神社記』の津田の記述には、そんな思いがにじむ。

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