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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」(1) ただいかめしいだけの将でなく

楠木正成を祭り、「楠公さん」として親しまれる湊川神社=神戸市中央区(恵守乾撮影)
楠木正成を祭り、「楠公さん」として親しまれる湊川神社=神戸市中央区(恵守乾撮影)

 楠木正成(くすのき・まさしげ)戦没の地に建つ湊川神社(神戸市中央区)。足利尊氏らと戦った湊川の合戦に敗れ、「七生滅賊(しちしょうめつぞく)」を誓って、一族郎党と共に非業の最期を遂げたこの場所は、江戸時代以降の正成崇拝の機運をもり立てた「聖地」の一つだった。

 〈旅客の神戸に来るもの先(ま)づ問ふていふ、楠公(湊川神社)は那邊(なへん)なりやと〉

 神戸周辺の名所旧跡の由来をまとめた明治時代の文献『西摂大観(せいせつたいかん)』は、湊川神社についての章をこう書き出した上で、次のように言葉を続ける。

 〈此(この)一語が吾人の耳朶(じだ)に觸(ふ)るゝときは頗(すこぶ)る欣快(きんかい)の情を覚ふ、是れ道義の未だ失堕せざるを思へば也〉

 著者は、正成の遺徳をしのぶ人が絶えないことを最高の喜びだと書く。明治維新後も正成は、人々の心の中に深く根を下ろしていたのだ。

 第3章「維新回天の原動力・水戸光圀」で紹介したように、同神社創建の起源ともいえるのは元禄5(1692)年、水戸藩2代藩主の光圀が荒廃していた墓所を整備し、自ら「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」と刻んだ墓碑を建立したことだ。萩博物館(山口県萩市)の一坂太郎・特別学芸員は、墓碑が正成の精神を広く伝える上で大きな影響を及ぼしたとした上で、立地の重要性を指摘する。

 「墓碑は、当時の幹線道路である西国街道に面し、大勢の旅人が行き交う場所に位置していた。街道を歩けば必ず通る場所が名所化したことで、より多くの人が正成の精神に触れることになった」

 墓碑に刻まれた正成の一生を記した碑文は拓本にとられ、参拝者に販売されて人気を博した。幕末の嘉永4(1851)年3月、江戸に向かう途中で初めて正成の墓所を訪れた吉田松陰も拓本を買い求め、掛け軸にして松下村塾の床の間に飾ったと伝わる。

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