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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(12)旅順攻略 敗将ねぎらう優しさ

 「一族を挙げて後醍醐(ごだいご)天皇への忠義を貫いた正成を、深く崇敬していたことは間違いありません。楠公に関する書物を読み漁(あさ)り、忠誠心をしのび、その行動に学んでいます」

 日本政策研究センター主任研究員で、『乃木希典 高貴なる明治』の著作がある岡田幹彦氏はそう語る。

 <楠公父子訣別(けつべつ)之所>

 正成が、自分の死後も帝に忠義を尽くせと正行に命じた「桜井の別れ」の舞台(大阪府島本町)には、乃木の筆による石碑が立つ。

 「乃木は揮毫(きごう)の依頼を、当初は固辞しています。楠公はわが国無双の忠臣であり、そんな尊い遺跡に対して僭越(せんえつ)だという理由です」

 そういう乃木を、明治天皇は愛された。日露戦争後、直々のご指名で、乃木は学習院院長に就任。皇孫殿下(天皇の孫)である後の昭和天皇、秩父宮、高松宮の教育に当たった。

 乃木は殉死直前、「お暇乞(いとまご)い」をした際、2冊の本を献上している。

 重要な箇所に自ら朱点を入れた私家版で、一冊は皇統の正統性を述べた山鹿素行(やまがそこう)の『中朝事実(ちゅうちょうじじつ)』、もう一冊は後醍醐天皇の得失を論じた三宅観瀾(かんらん)の『中興鑑言(ちゅうこうかんげん)』である。

 乃木に「建武中興を教訓に」という思いがあったことは興味深い。

 乃木没後、東京、山口、栃木など、ゆかりの地に乃木を祭る神社が建立された。京都・伏見桃山の明治天皇陵そばの乃木神社もその一つだが、一人の男が独力で創建した点では、他とは異なる。

 その男は、京阪電鉄の取締役だった村野山人(さんじん)。乃木より1歳上で、多くの鉄道会社の経営に関わるなど、公共事業に尽力した人だ。

 村野は、乃木殉死に衝撃を受け、私財をなげうち、大正5年に創建に漕(こ)ぎ着けた。村野が発行した『報国真髄(しんずい)』という本には、こんな一節がある。

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