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【日曜に書く】偏見を超えて響く音楽 論説委員・河村直哉

靖国神社(宮崎瑞穂撮影)
靖国神社(宮崎瑞穂撮影)

 ◆折口と信時の絶唱

 民俗学者、折口信夫(しのぶ)に「鎮魂頌(しょう)」という詩がある。折口は歌人でもあり詩も作った。

 「思ひみる人の はるけさ/海の波 高くあがりて/たゝなはる山も そゝれり。/かそけくもなりにしかなや。/海山のはたてに 浄(キヨ)く/天(アマ)つ虹(ニジ) 橋立ちわたる。」

 絶唱というほかはない。昭和23年の作。折口は養子を硫黄島の戦闘で失った。海のかなた、「たゝなはる」(幾重にも重なる)山の向こうにわが子の姿を見ている折口を想像する。面影はかすかになってしまった。かなたに虹がかかる。

 この詩に後年、信時潔(のぶとき・きよし)が曲を付けた。清澄極まりない曲調である。

 詩の第3連には、こうある。「神生(ウマ)れたまへり。/この国を やす国なすと」。折口が靖国神社に眠る英霊を思い、信時はその詩に天上のもののような曲を付けたと考えたい。今も靖国神社の例大祭で歌われている。

 ◆なお残る無礼な見方

 靖国神社に対して偏見や無礼な見方がなお残っているのを見るのは、悲しくまた腹立たしい。先日も英軍人のラグビーチームが靖国神社を参拝したことを、英タイムズ紙が「戦争犯罪者の神社を訪問した」と否定的に伝えた。駐日英大使が注意したとも伝えたが、英大使館は否定した。

 国のために尽くした英霊を国民が追悼するのは、どの国でも当然のことのはずである。けれども敗戦国であるがゆえのさまざまな雑音が、日本の内外に残存する。

 「鎮魂頌」が思わせるものは、悲しみを天上まで昇華させた先にある死者と生者の澄んだ交感である。雑音が入る余地などそこにはまったくない。

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