PR

ニュース コラム

【新聞に喝!】今、必要なのは、歴史の真実への理解 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦

第二次世界大戦勃発80周年式典で追悼の鐘を鳴らすドイツのシュタインマイヤー大統領=1日、ポーランド・ワルシャワ(ロイター)
第二次世界大戦勃発80周年式典で追悼の鐘を鳴らすドイツのシュタインマイヤー大統領=1日、ポーランド・ワルシャワ(ロイター)

 9月1日は、1939年のこの日にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発した日である。今年は80周年に当たり、ワルシャワなどでは記念式典が行われた。翌日に式典を報道したのは、在京6紙では朝日、読売、東京だけで、いずれも大きな記事ではなかった。

 ロシアのプーチン大統領は式典に招待されなかったが、ウクライナ問題によるからだという。ただ、その原因は、2014年のクリミア併合だけでなく、さらにさかのぼって考えるべきだろう。

 朝日の記事では、そのあたりのことを「ソ連は第2次大戦の開始後、直前に結んだ独ソ不可侵条約の秘密議定書にもとづき、ポーランドに侵攻し、バルト3国も支配下に置いた。ウクライナ危機を機にこの侵攻の歴史に再び注目が集まる中、ロシア外務省は8月、同条約について『英仏などが、ヒトラーの攻撃を東に向かわせようとして対独融和策をとったため』と主張するビデオを公表した」と説明した。朝日と東京は、ポーランドのドイツに対する賠償請求問題に言及している。

 大戦の初めには、ソ連はドイツと結託した侵略者であった。旧ソ連やロシアで言われる「大祖国戦争」は、1941年6月の独ソ戦開始以後を指す。ソ連の侵略行為は、ソ連が連合軍になったために戦後も容認された。バルト三国が独立を回復し、東欧が民主化されるのは、約30年前のソ連の崩壊によってである。

 一方、英仏は、ドイツのポーランド侵攻直後、ドイツに宣戦布告をしたのに、ドイツを攻撃しなかった。朝日の記事で、「英仏の対独融和策」とあるのは、このことを意味している。戦闘が始まったのは、1940年5月にベネルクス三国とフランスがドイツに攻撃されてからだった。

 新聞が第二次大戦の開始について、関心が薄いのには、驚くほかはない。朝日新聞でも、複雑な経緯については、説明していない。簡略な記事だけでなく、歴史的かつ客観的な視点に立った、もっと詳細な解説記事が書かれるべきだろう。今年の夏も、日本の戦争に関しては実に多くの関連記事が掲載された。しかしその内容は、戦争の悲惨さを強調するだけの、情緒的なものばかりである。

 第二次大戦の経過を直視すれば、決して単純なものではないことが分かる。歴史は勧善懲悪ドラマや、お涙頂戴の悲劇ではない。歴史の真実を理解しなければ、戦争を防ぐことなどできないであろう。

【プロフィル】酒井信彦

 さかい・のぶひこ 昭和18年、川崎市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学史料編纂(へんさん)所で『大日本史料』の編纂に従事。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ