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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第3章 維新回天の原動力(8)「公」に生きた非情の宰相

 大久保は、予算が足りない公共事業は個人で借財して補った。彼に莫大な借金があったことを国民が知るのは、その死後である。=毎週金曜掲載

 ■大久保利通

 文政13・天保元(1830)年、鹿児島城下で生まれる。旧名は一蔵(いちぞう)。薩摩藩主の父、島津久光に抜擢され、藩政の中枢に。その後、西郷隆盛らと倒幕を主導した。

 維新後は内務卿などを務め、富国強兵・殖産興業を推進、近代日本の基礎をつくった。征韓論の対立の際は、内治優先の立場から西郷らの意見を退けた。

 西南戦争の翌明治11(1878)年、不平士族らによって東京・紀尾井町で刺殺された。そのとき乗っていた馬車は、岡山県倉敷市にある寺院、五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)に保管されている。同院は、楠木正成と並ぶ『太平記』の忠臣、児島高徳(こじま・たかのり)の生誕地といわれる。

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