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【ソロモンの頭巾】サンマ意外史 江戸では無名、デビューは戦後 長辻象平

不漁が続くサンマ。資源の行方が気がかりだ
不漁が続くサンマ。資源の行方が気がかりだ
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 落語にもなって日本の文化となじみの深い秋の味覚のサンマが不漁だ。

 サンマは現代のわが国の漁業で主要な位置を占めている。日本人との付き合いには長い歴史があると思いきや、江戸時代にはほとんど無名で、その他扱いの魚だったのだ。サンマは意外性に満ちた大衆魚-。

佐伊羅ってなに

 芭蕉(ばしょう)もサンマの句を作っていないし、小話の世界でもサンマは見かけない。

 それもそのはず、江戸時代の人々は、サンマの存在そのものをほとんど知らなかったのだ。

 元禄10(1697)年に出版された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』の魚類部には、サヨリの項に干物用の三摩(さんま)という文字があるだけだ。

 『和漢三才図会(ずえ)』(1712年頃)には佐伊羅(さいら)として登場するが、「魚中之下品也」とされていて、真のサヨリの格下扱い。

 魚類事典で「さんま」の見出しが立つのは、幕末に出た『魚鑑(うおかがみ)』でのことだ。貴人は食べず、病人にはよくないとの注がある。

 京都では、さよりと呼ばれるとあり、サンマの認知度と人気は、今では想像できないほど低かった。イワシやサバにも一字漢字があるが、サンマにはない。“遅れてきた青魚”なのだ。

団塊世代と同期

 サンマ漁業の本格化は第二次大戦後のことだ。

 水産研究・教育機構の国際水産資源研究所の大島和浩主幹研究員が教えてくれた。「夜間に船の集魚灯を使うサンマ棒受け網という漁法の出現で、漁獲が一気に増えたのです」

 サンマ棒受け網が始まったのは昭和23(1948)年ごろだ。サンマの漁獲グラフを見ると、1950年に10万トン強だった日本の漁獲は58年に60万トンに迫るピークを迎えた後、減少に転じ、69年には5万トン近くにまで落ち込んでいる。

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