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【東京特派員】浮名ばかりは盗めない 湯浅博

 容貌も申し分ないから、圓歌はこれに噺の芸を磨けばと思ったか「女優にしてやる」と声をかけた。気が付くと三味線漫談家になって三遊亭あす歌を名乗っていた。やがて師匠に認められ、三遊亭小円歌を襲名した。

 「小円歌といっても私の方が大きいんです。私168センチ、圓歌師匠148センチ。バレーボールの選手でしたから」

 このころにも、当時の落語協会会長だった5代目柳家小さんから「橘之助」襲名の話が持ち込まれたが、いまだ30代でその名跡は重すぎた。再び、その襲名の話が転がり込んだ際、師匠の圓歌に相談したところ、「俺は大賛成だよ」と後押ししてくれた。しかし、圓歌は披露興行を待たずに死去。享年85。

 初代橘之助の代名詞となった「たぬき」は、明治15年に杵屋正次郎から譲られた長唄もので、随所に編曲を加えて売り物にした。後に劇作家の榎本滋民が、橘之助の生涯を芝居にして、舞台「たぬき」を世に送り出した。初演は昭和49年に芸術座で、橘之助役は山田五十鈴が演じた。

 山田は「橘之助のほかに弾くのは不可能」といわれたこの難曲を見事にこなして観客をうならせた。10代で清元の名取という下地があってこその出来で、これが山田五十鈴の当たり役になった。

 初代橘之助と山田の共通項は、もちろん芸もすごいが、醸し出す色気も際立った。初代は芸の達人によくある浮気性で、「橘之助の百人切り」と言われるほど著名人と浮名を流した。そういえば、山田もまた恋多き女で、4度の結婚を経ているから初代の人生と重なってくる。

 2代目は山田のように舞台で「たぬき」を演じることを夢に見ている。そのために「初代の芸を盗んで自分のものにしなければ」と肝に銘じている。

 「ただねぇ、浮名ばかりは盗めない」(ゆあさ ひろし)

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