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特攻隊75年 語り継ぐべき思い 自己犠牲…日本の再生託し 編集委員・宮本雅史

 「1回目に発進できたのは5基のうちわずか2基。1基は敵艦に突撃したが、もう1基は自爆だった。自爆の音は今でもはっきり耳に残っている。彼が何を思いながら自爆装置のボタンを押したのかと思うと、胸が詰まって何も考えられない」。さらにこう続けた。「平和を守るためには体を張らないとだめなんだ。今の日本人を見ていると、戦友が何のために死んでいったのか子供や孫に伝えないといけないと思うようになった」

 ◆死と向き合って

 元搭乗員の男性は第13期甲種飛行予科練習生だったが、学徒動員組は別の感情が交錯していた。神風特別攻撃隊正気隊の元隊員は「特攻隊名簿に自分の名前を見たときは、顔面蒼白(そうはく)になったと思う。覚悟していたが、全身の血が逆流したような気持ちがした」と話す。

 早稲田大学から学徒出陣で海軍飛行14期予備学生として訓練を受けた。鹿児島県鹿屋市にあった海軍串良飛行場から2度出撃したものの、いずれも不時着などで帰還している。

 「串良に行ってからは、特攻出撃の夢を見てはうなされた。自分が敵艦を目指そうとすると、敵の遊撃機が向かってくる。死と向かい合っているから、自分の死にざまが夢に出てきた。予科練は若くて血気盛ん。われわれのように娑婆(しゃば)をある程度知っている者と違って、特攻隊員として与えられた任務ということで潔かった」

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