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特攻隊75年 語り継ぐべき思い 自己犠牲…日本の再生託し 編集委員・宮本雅史

 旧日本海軍の神風特別攻撃隊が昭和19年10月、初めての攻撃を実行してから今年は75年目になる。特攻隊結成を決断した海軍の大西瀧治郎中将が「統率の邪道である」と語ったように、特攻作戦は当時でも邪道だという認識を誰もが持っていた。だが、忘れてはいけないのは、作戦の是非を議論する前に、多くの若者がさまざまな思いを胸に、実際に特攻隊員として出撃していったという紛れもない事実だ。

 筆者は25年ほど前から、元特攻隊員やその遺族らと交流を持ち、機会あるごとにインタビューを重ねてきた。

 戦況は日を追うごとに悪化し、米軍の圧倒的な物量作戦の前に日本の敗退は時間の問題となっていた。しかも、軍首脳部は先を見通せないまま戦略を立てられずにいた。インタビューからは、祖国のため、家族のために命をささげた自己犠牲の極致というべき姿が浮かび上がってくる。

 10年ほど前に話を聞いた人間魚雷「回天」の搭乗員だった男性は、こう振り返っていた。

 「日に日に空襲が激しくなり、親兄弟が殺されている。出撃した仲間は戦死して帰ってこない。本土が戦場になれば、大量殺戮(さつりく)、国土崩壊は目に見えている。戦争が良いとか悪いとかという問題とは別に、何とかして敵の侵攻を食い止めたいという気持ちが本能的に出てくる。この感覚は今の人に理解できないかもしれないが、当時の若者はみんなそう考えていた」

 当時、19歳で海軍1等飛行兵曹だった彼は2度出撃した。1度目は回天の電動縦舵機が故障して発進できなかった。2度目は太平洋上で敵艦隊を探したが遭遇できず、そのまま洋上で玉音(ぎょくおん)放送を聞いた。

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