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【朝晴れエッセー】ふるさとの…・8月14日

 今年も蝉(せみ)の鳴き声が盛りをむかえた。佐賀県の半農半漁と炭鉱の町で生まれた私は、小学2年生の夏休み、盲目の父の手を引いて山道を歩いていた。

 父は復員後炭鉱で働き私がまだ母のおなかにいるとき、発破の事故で失明した。祖父母、叔父叔母一家8人の働き頭であった父は、逡巡(しゅんじゅん)ののち、佐賀市内の盲学校にはいり、小学生と机をならべて点字を覚え、マッサージを覚えた。鍼灸(しんきゅう)の資格を取得したのち、炭鉱に、見切りをつけ大阪で縫製工場を経営する兄を頼って一家は移住した。

 引っ越す前、父は、戦地で盲目になった友人に別れを告げに行くといい、ヤマで働く母に代わって、私と朝早く家を出た。父の記憶をたどってどれくらい歩いたのだろう。道端の木々ではしきりに蝉が鳴いていた。私は初めて行く遠い道のりにべそをかいていた。

 そのときなぜあんな言葉が口から出たのだろう。「蝉を捕ってくれ」。白い透明の羽をもつ大きなクマゼミは、子供にとってはあこがれであった。父は、よし!と言って白い杖(つえ)を頼りにその木に近づき、声のありかを探した。

 一瞬の静寂。私の故郷の想い出は、フナ釣り、ヤマモモ、メジロさし、そして、その日訪ねた家の夏ミカンと、数多くある。しかしそれらにまして懐かしく、哀しいのは、あのときの一瞬の静寂であった。それが白い杖を振りかざす父と今もかさなる。

 あのときなぜあんなことを父にせがんだのだろう。

林田 輝雄 72 大阪市東淀川区

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