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ニュース コラム

【一服どうぞ】心を無にする一時 裏千家前家元・千玄室

 自分の考えや気持ちを他の人に伝えるときどのような方法をとるだろうか。直接話す場合もあるが、文字を書いて伝えるのではなかろうか。この識字であるが、それぞれに体を持っている。仮名は奈良時代に表音でできたものだから別にしなければならない。要は漢字であるが、おのおのに深い意味を持つ。だから使う字を間違えると全く意味をなさなくなる場合もある。

 新聞を読んでいると何を意味するためにこの字を使っているのかと首をかしげることがある。聞くところによるとこの頃は記事をもコンピューターで書くとのこと、そのために変換を間違えたまま紙面に載ることがあるようだ。そういえば私も色々なところで意見を求められることがあるが、以前のようにメモを取らず、直接打ち込んでいるのを目にする。まるで人間が人工知能(AI)になってしまったように感ずる。きちんと文字をつづり文章にすると小説なり文学になるのだが。

 これと対極にあるのが仏教の教えであり、中でも禅の教えであろう。「教外別伝 不立文字」。文字や言葉による伝達のほか、体験によって伝えるものこそが真理であり心から心へ伝わるとする意である。中国の六祖慧能(えのう)が、貧しい炭売りをしていた折のこと。とある家から聞こえてきた「金剛経」に耳が止まった。ぜひともこの教えを受けたいと思う。しかし簡単に弟子入りできるわけがない。私が昔僧堂に入ったときでもすぐ入れず、門前払いをくわされた。そういうしきたりなのである。

 ましてや何の後ろ盾もない慧能であった。入門の願いに行っては断られる。何度目かの時に「人に南北ありといえども仏性に南北無し」と自分の心を打ち明けた。禅師はその志を知り、寺に入ることを許した。入門はできたものの、命じられるのは毎日の米つきである。来る日も来る日も米をつくのでやはり飽きてくる。しかしここで慧能は考えた。自分がこうして米をつくことによりおいしくご飯を食べられる人がいるのだと。

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