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【朝晴れエッセー】「船場」の片隅で・8月10日

 終戦後、大阪の「船場」に大工の父が廃材で家を建て、母は小さな食堂を始めた。

 小学3年生の夏休みのこと。昼のお客が引けてテーブルに宿題を広げた。奥で昼食を取る母に代わり、店番をするのである。昼を過ぎてめったにお客は来ないが、この日は白い麻の背広上下に、白いパナマ帽の見かけない老紳士が入ってきた。

 老紳士は母に瓶ビールを注文した。昼間からビールを頼む人は珍しいけれど、ゆっくり、うまそうに飲んだ。私は気詰まりになり奥へ引っ込んでいたが、母に呼ばれて店に戻ると、イスの背に白い背広の上着が掛けられてあるだけで老人がいない。

 表で懐かしそうに生駒山を見てはった、と母に言われて探しに出た。あちこちの焼け跡には夏草ががれきを覆うように茂り、白壁の剥がれた土蔵と水の枯れた井戸が点々と見えるだけで人影はない。風が強く吹くと、傷んだ道路に土ぼこりが舞った。

 夜になり、酒の入ったお客の中で老紳士のことが話題になった。おおかたの人は、飲み逃げや、なんて言ったけれど、なんか訳があんのやろね、と母は老人をかばった。今思えば、戦災で愛着のある土地を離れ、終戦になって戻られた方もいたが、老人はかなわなかったお一人だったのかも。

 「船場」は商売の町。この町で母は、小さくても自分の食堂が持てた幸運に感謝していた。虫干しのころ、残された上等の白い上着を軒下に掛け、どないしてはるんやろねえ、としみじみ話すことがあった。

 竹田健次(75)建築業 大阪市中央区

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