PR

ニュース コラム

【記者発】ある科学者夫妻の生き方に思う 社会部・緒方優子

 免疫学者の石坂照子さん=元米ジョンズ・ホプキンズ大教授=が6月4日、92歳で亡くなった。米国の研究所にいた1966年、花粉症やアトピー性皮膚炎などのアレルギー疾患の原因となるタンパク質「免疫グロブリンE」の発見を夫の公成さん(平成30年7月に逝去)とともに発表。互いの背中にアレルギー物質を注射して実験するなど、まさに二人三脚の研究の成果で、夫婦でノーベル賞の登竜門といわれる「ガードナー国際賞」など数々の賞に輝いた。

 《照子に学問と結婚を両立させることは、私の人生の目的でもあった》。公成さんは「結婚と学問は両立する/ある科学者夫妻のラヴストーリー」(黙出版)に、互いに若く優秀な医学生として出会い、恋に落ちた照子さんへの思いをこうつづっている。

 公成さんは晩年、米国で病に倒れた照子さんを故郷の山形へ連れ帰り、日中のほとんどを照子さんの病室で過ごしたという。2人を知る山形大医学部の嘉山孝正参与は「石坂先生は論文を読みながら、照子さんの頬を優しくなでていた。照子さんも声が出せない代わりに涙で感情を示し、先生のことを見守っているようだった」と振り返る。

 世界的な科学者である石坂夫妻は、皇室とも交流があった。上皇ご夫妻は皇太子同妃時代の昭和49年、公成さんが文化勲章を受章した際に2人を東宮御所に招かれた。公成さんはこの時のことを《照子は堅くならない人間だから、美智子妃殿下と子供の教育について、いろいろお話ができて嬉(うれ)しかったようである》と記している。その後も交流は続き、照子さんの看病を続けていた公成さんを、上皇ご夫妻が私的に御所に招かれたこともあったという。

 上皇后さまのご支援で平成19年に発行された「科学する心-日本の女性科学者たち」(日刊工業新聞社)には、偉大な女性科学者の一人として照子さんの半生が紹介されている。筆をとったのは公成さんだった。《彼女のした仕事がなかったら、私のした研究は医学的には発展しなかったでしょう》

 女性の社会進出の受け入れがまだ十分でなかった時代に、同じ夢を持つ同志として女性の生き方を尊重し、見守り続けた男性がいたことを、何よりも尊く感じる。

【プロフィル】緒方優子

 平成22年入社。神戸総局、水戸支局勤務の後、27年から東京本社社会部。原子力取材班、警視庁捜査1課担当を経て、現在宮内庁を担当。

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ