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【日曜に書く】任侠と反社会的勢力 論説委員・別府育郎 

 ◆魚河岸のチャンピオン

 わずか17歳で東洋王者となった早熟のボクサー、沢田二郎の晩年を追ったことがある。

 昭和30年8月、秋山政司を破って東洋ライト級の王座に就いた。市場で働きながらベルトを巻いた丸刈りの少年に、ファンは「魚河岸のチャンピオン」と呼んで熱狂した。

 同い年の漫画家、ちばてつやは沢田の活躍に触発され、初めてボクシング漫画を描いた。題名はそのまま「魚河岸チャンピオン」。「あしたのジョー」のルーツがそこにある。

 だが栄光の時は短く、同年の12月にレオ・アロンゾ(比)に敗れてタイトルを失うと、所属ジムとの確執から問題行動が増えた。ウエルター級に階級を上げて日本王座にも就いたが、すでに往時の輝きはなく、傷害などの事件を繰り返して新聞の社会面を騒がせた。

 アルコール依存症から仕事にも就けなくなり、晩年の5年間は千葉・内房の博徒系の組にあずかりの身となった。リハビリが進むと、組の犬を散歩に連れ出す姿がみられるようになり、近所の喫茶店の常連となった。店では一切、アルコールを出さなかったが、トイレに空のカップ酒が残されていることもあった。カラオケが好きで、おはこは石原裕次郎、赤木圭一郎といった、自身が栄光に包まれた時代の歌が多かったという。

 平成5年8月、55歳の若さで亡くなった。出棺の際には沢田を慕う若い組員らが「チャンピオン、チャンピオン」と泣き、沢田が大事にしていたパンチンググローブを棺(ひつぎ)にいれようとして組長に一喝された。「ご遺族にお渡しできる遺品は、そのグローブだけなんだぞ」

 後に生き別れていた一人娘とも連絡が取れ、無事、グローブを渡すことができたという。

 任侠(にんきょう)の残り香をかいだのは、あの取材が最後だったかもしれない。

 ◆涙の解散式

 同じころ、かつて大看板を背負った元親分に話を聞いた。

 昭和40年ごろ、ばくちで入った懲役の房でラジオのニュースが自分の一家を「暴力団」と伝えていた。「やくざはしたが暴力団になった覚えはない。ご先祖さまに申し訳ない」と、出所後に解散を決めた。

 解散式では時の現職市長が名演説をぶち、居並ぶ芸者衆が袖をぬらしたという。

 時代は変わり、バブル期を経て暴力団は経済事件を主戦場として何億、何十億のしのぎに顔を出すようになった。これが元親分には信じられなかった。

 「私らは町のもめ事の解決が主な仕事でしたが、それでお金をいただいたことは、一度もありません。億なんて天文学的な数字、私には全く分からない。任侠を通せば貧乏になります。彼らはやくざ者ではなく、ギャングなのです」

 義理と人情の世界は、すでに幻想のかなたである。

 ◆関係を断ち切るには

 やくざに強く堅気に弱いのが真の侠客(きょうかく)であるならば、老人や弱者を標的とする特殊詐欺を仕切る現代の暴力団を、どう表現すればいいのか。

 形態も複雑化し、暴力団の周辺者や半グレ、犯罪者集団も含めた「反社会的勢力」という用語が生まれた。ただし、その定義はあいまいである。

 吉本興業などの芸人らが、反社が関わる会合で闇営業を行ったとして処分を受けた。反社の恐ろしさを知るべきだろう。一度持った関係を断つことは極めて難しい。関わった事実が恐喝の材料となり、脅しに屈すれば新たな恐喝のネタとなる。彼らはどこまでも許さない。そこに義理や人情の介在はない。

 芸人らは謝礼をもらったことで批判されているが、対価がなければそれは便宜供与である。反社との関係は、どう転んでも悪い方へ落ちていく。

 芸能やスポーツ界が、かつてやくざ組織と密接な関係にあったことは事実だ。時代の要請がこれを禁じたが、遮断の動きは新たな脅しを生む。例えば過去の関係を証明する写真が出回るような。あくまで私見だが、厳しすぎる処分は反社の思うつぼではないか。復帰もかなわぬとなれば口をつぐみ、ぬかるみで耐えるしかなくなる。

 過去の不適切な関係については一定の謹慎を経て仕事の再開を許す。水面下に潜ったままの関係についても会社がまとめて進んで明らかにし、処分と復帰時期を明示する。これ以降は会社が矢面に立って芸人を徹底的に守る。反社との絶縁には、それしかないのではないか。(べっぷ いくろう)

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