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【偏西風】町人文化息づく大阪 関西歌舞伎は「民」力の結晶

 だが、川島さんをはじめとするメンバーの地道な奮闘が、歌舞伎に見向きもしなかった関西の人々の目をひきつけていく。

 川島さんは、会の結成当初は歌舞伎のことを何も知らなかった。伝統芸能に触れたこともなかった。上司から指名され、義務的に活動を始めたのだ。

 だが、歌舞伎の歴史や特徴を猛勉強し舞台を見るうち、その奥深い魅力にはまっていく。労働組合の活動を通して、「文化の育たないところに経済の発展と市民生活の向上は望めない」との信念もあった。

 かばんに公演のチラシとチケットを詰め込み、足を棒にして関西の企業や労働組合を回り、売り歩いた。夜の北新地にも足を運び、協力を依頼した。

 現在、関西では年間数カ月以上歌舞伎公演が行われるまでになった。

 人間国宝の片岡仁左衛門さんは「労働組合を中心に、下から押し上げる形で応援してくれたことが大きかった。『愛する会』がなかったら、いまの関西の歌舞伎の隆盛はなかったかもしれない」と話す。

 澤村藤十郎さんは「一人一人の小さな一歩が、関西の歌舞伎界にとっての大きな一歩につながった」と振り返った。

 もっとも会の活動に行政からの補助はなく約600人の会員の会費だけが頼りだ。節約のためクーラーの使用を控えた事務所を拠点に川島さんは手弁当で活動を続けている。

 ◆人形浄瑠璃、近松も

 大阪は町人が中心となって独自の文化を築き、支援してきた。

 江戸時代には、道頓堀で人形浄瑠璃(じょうるり)が盛んになり、近松門左衛門(もんざえもん)らが「曽根崎心中」をはじめ多くの傑作を世に送り出した。上方歌舞伎は江戸歌舞伎とともに両輪の輪として栄え、上方和事(わごと)というはんなりした優美な芸を生み出した。

 政治の中心が江戸、そして東京にあっても、上方には独自の文化が花開いた。文化の担い手はつねに町人であった。

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