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【偏西風】町人文化息づく大阪 関西歌舞伎は「民」力の結晶

 同会の中核となったのは当時の松下電器産業(現パナソニック)をはじめとする関西の労働組合だった。結成の前年、東京の歌舞伎俳優、澤村藤十郎さんらが大阪新歌舞伎座で行った襲名披露興行が低調に終わり大阪の顔見世は打ち切りになった。

 責任を感じた藤十郎さんは、なんとか大阪の歌舞伎を復活させたいと、松下電器の労組委員長で、大阪地方民間労働組合連絡協議会の代表幹事を務めていた高畑敬一さんに相談を持ちかけた。

 そのとき、高畑さんから「歌舞伎をやろう」と声をかけられたのが、松下電器労組で高畑さんの部下だった川島さん。

 実は、関西の歌舞伎界は昭和20年代後半から低迷期に入っていった。上方の名優の相次ぐ死、娯楽の多様化、政治・経済・文化の東京一極集中化など多くの要因によるものだ。上方の文化を経済的に支えた大阪・船場の旦那衆が戦火を逃れるため、大阪市内から一時出ていったことも大きかった。

 しかし、同会の尽力で54年、道頓堀の朝日座で第1回公演が行われ、船乗り込みも復活。これを機に関西の歌舞伎は息を吹き返していく。

 ◆街には文化あってこそ

 当初、労働組合が歌舞伎を支援すること自体驚かれたという。「なぜ労組が歌舞伎を応援するのか」と批判する声もあった。

 会発足の記者会見では「公演は1回だけで終わるのではないか」という厳しい質問も飛んだ。

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