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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(10)

観心寺の中院。正成が精神と思想を養った=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)
観心寺の中院。正成が精神と思想を養った=大阪府河内長野市(恵守乾撮影)

 ■感謝か教養か 忠義はどこから

 敵にも温かみのある博愛精神以上に楠木正成(くすのき・まさしげ)、正行(まさつら)父子を評する言葉として使われるのは忠義、忠臣である。正成が生まれた鎌倉時代の武士の行動原理は「御恩と奉公」。所領の安堵(あんど)などの御恩を与えてくれる頼りがいのある主人のために命がけで戦う、奉公するのが武士だった。その時代にあって、主人たる実力を持たない後醍醐天皇のために立ち上がり、終生裏切らなかった楠木父子の行動を支えたものは何だろうか。

 帝塚山大の花田卓司准教授は、正成らの時代は、代々主君に仕えた家柄以外の家来には「主君を選ぶ自由があった時代」という。代表的な例は「婆娑羅(ばさら)三傑」の佐々木道誉(どうよ)。鎌倉幕府の執権、北条高時に仕えていたが、足利尊氏についたと思えば南朝に走り、さらに寝返るなどして室町2代将軍の足利義詮(よしあきら)、3代将軍の義満の時代まで政治の黒幕として活躍した。

 そうした時代に正成が忠義を貫いた理由として、花田准教授は、正成が河内という「地方の一武将」でありながらも後醍醐天皇に認められた点を挙げる。『太平記』は、京都・笠置山に臨幸した後醍醐天皇の勅使を迎えた正成の様子をこう書く。

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