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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(9)赤十字の理念とも重なり

 だが、それを裏付ける史料はない。実際、加盟するには、ジュネーブ条約加入などの条件を満たした上で、赤十字国際委員会が承認するというもので、それは当時も今も変わらないという。

 「日本が加盟国として初めて参加した明治20年の第4回赤十字国際会議で、政府委員の石黒忠悳(いしぐろ・ただのり)が『戦時傷兵ニ対スル歴史実例』を演説しました。その際、正行の話を紹介した可能性があります。ちなみに通訳は森鴎外(もり・おうがい)でした」

 吉川さんはそう説明する。

 巧みな戦略以外にも、温厚をもって敵に接するという崇高な精神もまた、父から子に受け継がれたのは間違いない。楠木父子のような武将が国民に深く敬愛された。そんな土壌があったからこそ、日本で赤十字活動が短期間に発展したのではないか。=毎週金曜掲載

 ■佐野常民と楠公父子

 楠木正行の博愛精神について、正行にゆかりの深い往生院六萬寺(おうじょういんろくまんじ)(大阪府東大阪市)の川口泰弘氏は、日本赤十字社初代社長を務めた佐野常民(さの・つねたみ)(1822~1902)に着目する。佐野は、楠公顕彰が盛んだった佐賀藩の出身。若い頃、渡辺橋の史跡からほど近い緒方洪庵(おがた・こうあん)の適塾(てきじゅく)で学んだ。川口氏は「医学を修める中で、赤十字の理念と重なる正行の博愛精神にも触れたのでは。それが日本赤十字社の前身、博愛社の創設につながったとも考えられます」と推測する。

 正成を祭る湊川神社(神戸市)には、日本最古とされるオリーブの木がある。初代宮司と親交の深かった佐野が、1873(明治6)年のウィーン万博に参加した際に入手して持ち帰った木を、後年移植したともいわれている。

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