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【日本人の心 楠木正成を読み解く】第2章 時代の先駆者が伝えるもの(9)赤十字の理念とも重なり

川で溺れる敵兵を救出する楠木正行が描かれた絵はがき。基になった絵は戦前に焼失している(日本赤十字看護大所蔵)
川で溺れる敵兵を救出する楠木正行が描かれた絵はがき。基になった絵は戦前に焼失している(日本赤十字看護大所蔵)

 平成3年のNHK大河ドラマ「太平記」で、楠木正成(くすのき・まさしげ)を演じた武田鉄矢さんは当時、雑誌のインタビューで正成の魅力を次のように語っている。

 「家族や部下を大切にした男でもあったらしいね。それどころか、敵をも立派な塚をつくってねんごろに弔っている。戦でも攻めてくる者には攻撃するけど、逃げる者までは、追って殺すようなマネは決してしなかった。逃がしてやった」(『ザ・ビッグマン』同年6月号)

 武田さんの言う通り、正成の本拠地だった大阪府千早赤阪村の共同墓地の中央に、「寄手塚(よせてづか)」と呼ばれる五輪塔が残っている。正成が赤坂や千早の合戦の後、鎌倉幕府勢の戦死者を憐(あわ)れんで建てたと伝わる。

 墓地の隅には、味方を祭った「身方塚(みかたづか)」もあるが、訪れてみると、寄手塚の方が一回り大きいことが分かる。

 「敵」でなく「寄手」と呼び、しかも手厚く弔う。その精神の源泉は何か。

 「正成は民衆に迷惑をかける戦いはしませんでした。こうした領民への眼差(まなざ)しは、敵にも向けられたのでしょう」

 千早赤阪村教育課の原田沙由未(さゆみ)主事は、そう分析する。

 一方で、正成が建てたというのは後世の創作だとする説もある。しかし、一つの挿話が、真実味を持って伝え継がれてきたのだとしたら、それは正成の生き方が人々の胸を打ったからだろう。原田主事は「伝承を受け継いで塚を守ってきた村民の思いは軽視できません」と話す。

 「小楠公(しょうなんこう)救敵兵」

 こう題された絵が、1915(大正4)年、英国で開かれた赤十字国際大会に展示された。

 正成の嫡子(ちゃくし)・正行(まさつら)の戦場での美談が描かれており、作者は近代歴史画の父と呼ばれる小堀鞆音(こぼり・ともと)(1864~1931)だ。

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