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【大阪特派員】堺に残る家康の墓伝説 山上直子

 「堺東照宮、ですか」

 仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳)の世界遺産登録に向けて注目が集まる堺市。中世末期に自由都市として栄え、茶道の大成者・千利休を生んだことでも知られるが、その町に徳川家康を祭る東照宮があったとは知らなかった。

 早速訪ねた場所は、同市堺区にある臨済宗大徳寺派の古刹(こさつ)、南宗寺(なんしゅうじ)。

 寺の始まりは大永6(1526)年の南宗庵にさかのぼり、戦国武将の三好長慶が父の菩提(ぼだい)を弔うため庵を移転、弘治3(1557)年に創建されて、南宗寺としたという。

 残念ながら東照宮は先の大戦で焼失して今はないが、そこに通じる「唐門」(国の重要文化財)が現存していた。屋根瓦の紋はなんと徳川家の家紋と同じ「三つ葉葵」である。

 関西にも東照宮がないわけではない。家康の遺言で京都に建てられた金地院(こんちいん)東照宮や、紀州徳川家ゆかりの和歌山にある紀州東照宮は有名だが、堺東照宮はちょっとミステリアスでおもしろい。

 なぜなら、境内には“家康最期の場所”としてその墓(とされる場所)があるからだ。境内の真ん中あたり、開山堂跡にさほど大きくない卵形の石が置いてあり、無銘の墓と呼ばれている。

 「大坂夏の陣で真田幸村に猛追され、かごに乗って本陣を逃れた家康が後藤又兵衛のやりに突かれ、堺まで落ち延びたものの南宗寺でかごを下ろすとすでに事切れていた、と伝えられているのです」と教えてくれたのは、住職の田島碩應(せきおう)老師。小さな墓はその遺体を仮埋葬した場所だという。

 歴史上、家康が大坂夏の陣で豊臣を滅ぼしたのが慶長20(1615)年で、亡くなったのは翌年、静岡の駿府城においてである。大阪は豊臣びいきの土地柄だけに、こうした“伝説”があるのだろうとも思うが、さらに念の入った“記録”があった。

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