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【宮家邦彦のWorld Watch】「1989年5月35日」を想う

天安門事件から30年を迎え、厳戒態勢が敷かれた天安門前=4日、北京(AP)
天安門事件から30年を迎え、厳戒態勢が敷かれた天安門前=4日、北京(AP)

 本稿が掲載される頃、安倍晋三首相はイラン訪問中のはずだ。41年ぶりの総理による歴史的訪問だが、迷った末今週は「1989年5月35日」について書くことにした。

 5月35日とは、6月4日を示す隠語だ。今から30年前の同日、筆者は外務省の北米局地位協定課に勤務していた。在日米軍の全ての不祥事から事件事故までを取り扱う忙しい部署だったが、北京でのあの事件は衝撃的で一日中CNNの天安門広場からの生中継にくぎ付けだった。

 結局、解放軍部隊が投入され、大量の血が流れた。当時、トウ小平中央軍事委主席が「今ここで後退する姿勢を示せば、事態は急激に悪化し、統制は完全に失われるので、北京市内に軍を展開し戒厳令を敷く」と述べたことをわれわれは後に知った。

 今北京であの事件について話す人はいない。「知らない」と答える市民を責めるつもりはない。彼らは間違っていない。判断を誤ったのはわれわれの方だろう。30年前の5月35日以降国際社会は中国について夢を見たのだから。

 当時われわれは中国の将来について4つのモデルを考えた。第1は経済発展・民主化モデル。投資で中国を資本主義化すれば、中国社会は変質し市民社会が生まれ、いずれは民主化が進むと本気で信じたのだ。こうして日本は事件後、中国に科された経済制裁を率先して解除し、対中投資拡大と中国の世界貿易機関(WTO)加盟に向けて舵(かじ)を切った。1990年初めのことである。

 ところがどうだ、中国の資本主義化で得られた富は民主化ではなく、軍拡と独裁制強化に費やされた。当時筆者はWTOサービス貿易交渉官として中国の加盟交渉に同席したが、当時から中国の加盟には反対だった。WTOでの意思決定はコンセンサス(全会一致)だが、中国はコンセンサスに決して参加しない。案の定、中国加盟以来、WTOは機能しなくなったではないか。何のことはない、結果的には中国の経済発展が独裁制を強化するという第2モデルが正しかったのである。われわれは30年後にようやくこの苦い現実を思い知ったのだ。

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