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【正論7月号】天安門事件から三十年 《反共鼎談》民主化は不可能だ 中国人はチャンス失った 評論家・石平/静岡大学教授・楊海英/産経新聞外信部次長・矢板明夫

戒厳部隊の武力制圧から30年を迎えた4日の北京・天安門前(AP)
戒厳部隊の武力制圧から30年を迎えた4日の北京・天安門前(AP)
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 ※この記事は、月刊「正論7月号」から転載しました。ご購入はこちらへ。

 楊海英 来たる6月4日で、民主化を求める中国の学生たちが武力で鎮圧され、虐殺された天安門事件から30年になりました。あの事件は起きるべくして起きたものでした。中国の民主化運動は学生たちが中心となり抗日・反帝国主義を訴えた1919年の五・四運動から始まったといえますが、49年に中華人民共和国が誕生、そして59年に人民公社の成立と反右派運動があり、同じ年に民族問題の典型的な事例としてチベット人が蜂起し、ダライ・ラマ14世がインドに亡命しました。69年になると文化大革命が最盛期に突入し、その後、一応文革は収束しましたが、89年の天安門事件でせっかくの民主化の芽が摘まれるわけです。

 私はモンゴル人ですから、五・四運動の前までは漢民族の革命の対象で、つづいて「五族協和」の対象となりました。五・四運動からの中国の課題は、民主化とともに少数民族問題への対処がありました。天安門事件の少し前まで私は北京第二外国語学院で助手をしていましたが、石平さんがおられた北京大学にもよく顔を出して、少数民族出身の学生に会って、民主化が実現したら少数民族はどうするのか、我々のところはどうするのか、ということを議論していました。でも、ほとんどの学生は民族問題に関心を持っていませんでした。私の大学に、共産党の中央党学校を出た若い先生が来たのですが、彼は過激な民主派だったものの、少数民族問題については「あなたたち少数民族はもう十分、優遇されているからいいじゃないですか」という具合でした。私は民主化運動の限界を感じて、天安門事件が起きる前の89年3月に日本へ来たのです。

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