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【日曜に書く】「女神」安井侑子さんに捧ぐ 論説顧問・斎藤勉

 ◆幸運なモスクワ留学

 ロシアのプーチン政権が武力併合して5年目に入ったウクライナ・クリミア半島。ここはしばしば大小の世界史の舞台となるが、61年前の1958年9月、後の日露文学交流史にとって実に幸運な“事件”が起きた。時のソ連指導者フルシチョフがヤルタの別荘に「国際レーニン平和賞」を受賞した国際法学者、安井郁(かおる)氏一家を招いた。そこに通訳として同行していた20歳の長女、侑子(ゆうこ)さんの希望を叶(かな)えモスクワ大学への留学を即決したのだ。帰途には黒海艦隊の駆逐艦まで用意したという。

 フルシチョフはその2年前、希代の独裁者の恐怖政治を暴露した「スターリン批判」で世界を驚かせ、西側との緊張緩和にも動き出した。国内ではスターリン時代、「死」と常に隣り合わせだった芸術家たちの真情と独創が花開く「雪解け」が訪れていた。フルシチョフの侑子さん一家「厚遇」は日本へのシグナルだったのかもしれない。

 侑子さんのモスクワ留学は59年から7年間に及んだ。ソ連史でも希有(けう)な自由の息吹の中で、キラ星のような詩人たちと白夜を徹して語り合い、飲み明かした唯一人の日本人だった。そこで見いだしたのは「強い友情であり、仲間意識と信頼だった」(著書『青春-モスクワと詩人たち』から)。斬新な詩の朗読会はロシア社会を熱狂させた。

 「怒れる若者」世代の旗手・エフトゥシェンコ、ボズネセンスキー、アフマドゥーリナ、アクショーノフ、ノーベル賞詩人ブロツキー、吟遊詩人オクジャワ…。侑子さんは帰国後、彼らの多彩な作品群を次々と精力的に紹介、注目を浴び続けた。

 ◆雪解け唯一人の生き証人

 侑子さんが「多臓器不全」で80歳の生涯を閉じたのは2月8日未明である。過日、都内で催された「お別れの会」にはゆかりの170人もが馳せ参じた。

 「彼女の存在そのものが『奇跡』でした。その輝きは、ソ連ロシアが経験できた唯一の幸せな体験であった『雪解け』の記憶と深く結びついています。彼女は、まさに日本におけるロシア文学の翻訳研究と『雪解け』がダイレクトに手を結び合った時代の最大の立役者であり、生きた証人であり、なおかつ生きた象徴でもあったのです」

 発起人代表の亀山郁夫・元東京外語大学長はこうたたえた。

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