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【葛城奈海の直球&曲球】御代替わりに見つめなおす日本文化

大麻の種まきが行われた畑=9日午後、徳島県美馬市
大麻の種まきが行われた畑=9日午後、徳島県美馬市

 新元号が『令和』と発表された。初めての国書からの引用、しかもそれが最古の歌集にして、作者が天皇から農民まであらゆる階層におよぶ「万葉集」である。これまでになく日本の国柄を表すものとなったことを心から寿(ことほ)ぎたい。各(おのおの)の人生の中で、1、2度、立ち会えるか、立ち会えないかという御代替わりは、日本の伝統を見つめなおす、またとない機会であろう。

 11月には、大嘗祭(だいじょうさい)が行われる。天皇が即位後はじめて行う新嘗祭(にいなめさい)のことで、その年の五穀の新穀を天皇が神々に供え、自らもこれを食し、収穫に感謝する宮中祭祀(さいし)だ。

 大嘗祭に奉納する米を作る田を斎田(さいでん)といい、「点定(てんてい)の儀」によって全国から2カ所が選ばれる。亀の甲羅を焼き、ヒビ割れ具合を見る「亀卜(きぼく)」によって、京都以東から悠紀田(ゆきでん)が、以西から主基田(すきでん)が決まる。平成のそれが秋田県五城目(ごじょうめ)町と大分県玖珠(くす)町だったことを知る人は、どれほどいるであろうか。

 昨年6月、大正の悠紀田であった愛知県岡崎市六ツ美のお田植(たうえ)祭りを訪ねた。不浄よけの竹矢来(やらい)で囲んだ4反ほどの田に、そろいの菅笠(すげがさ)、赤襷(たすき)姿の早乙女たちが並び、苗を植えていく。畔(あぜ)では、太鼓の拍子に合わせて、地元の小学生をはじめ多くの人が田植え歌を歌い、踊っている。天皇一世一代限りのおめでたい行事ということで、大正4年当時は、3日間で7万人もが見物に訪れたという。六ツ美では、これを誇りに、100年以上たった今も、地域を挙げて祭りを継承している。

 現代のような農機具がなかった時代、泥に足をとられながら腰をかがめて延々と行う田植えは重労働であった。が、こうして太鼓に合わせ、皆で体の動きと心をひとつにして営まれた作業は、共同体の絆を育んでいったに違いない。その絆は、ひと度災害が起きれば、共助という形でも生かされたであろう。

 天孫ニニギノミコトが高天原から天下られる際に、天照大神から賜(たまわ)った三大神勅(しんちょく)のひとつ「斎庭(ゆにわ)稲穂の神勅」によって日本にもたらされたと伝えられる稲作。主食をもたらすと同時に、日本の国柄を形作った原風景が、そこにあった。

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【プロフィル】葛城奈海

 かつらぎ・なみ やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、ジャーナリスト、俳優。昭和45年、東京都出身。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会広報部会長。著書(共著)に『大東亜戦争 失われた真実』(ハート出版)。

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