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【論壇時評】4月号 「平成」という時代の語りにくさ 文化部・磨井慎吾

衆院議員会館内の土産物店では「平成」グッズが売り上げを伸ばしている=東京都千代田区
衆院議員会館内の土産物店では「平成」グッズが売り上げを伸ばしている=東京都千代田区

 5月1日の改元を前に、雑誌の月号表記としてはいよいよ「平成最後」となる4月号。当然、各論壇誌とも平成という時代を振り返り、歴史の中に位置づけようという特集が並ぶ。

 中央公論の特集「平成の痛恨事」では、社会学者の大澤真幸と小説家の平野啓一郎が「『自分探しの30年』から脱却し、日本史像を編み直せ」と題した対談を行っている。「昭和二十年代や三十年代といった一〇年区切りを昭和では使います。しかし平成は三〇年間もあったのに、平成十年代はこうだった、二十年代はこうだったという言い方はしないんです」(大澤)など、いくつか面白い指摘はある。ただ、冒頭で平野が「そもそも平成が終わるからと言って、本当にこの三〇年間を平成という区分で考えることにどれくらい意味があるのか、疑問に思うんですね」と企画自体の前提について身も蓋もない疑いを表明しているように、平成という時代はこう、という明快な整理は出ず、議論としては今ひとつ焦点が定まらない内容で終わっている。

 対談で平野が述べている通り、前半の戦争、後半の経済成長という大きな出来事があってストーリーが描きやすい昭和に比べると、安定と停滞のうちに終わろうとしている平成の30年間はどこか「ボヤっと」しており、世代や階層などの差を超えて広く国民全体を納得させる物語は成立しづらい。この語りにくさこそが、平成の特徴なのかもしれない。

 前回改元の際に「大いなる昭和」と銘打った昭和回顧の分厚い特別号を出した文芸春秋は、今月号と5月号、さらに新元号となってから最初の発売号にあたる6月号まで3号連続で「平成とその次の時代を考える『改元特別号』とします」と巻末の「編集だより」で予告する。数十年に一度の国家的イベントに際し、かつての「国民雑誌」としての矜持(きょうじ)を示す力の入れようだが、「大いなる平成」とはなかなか題しがたいところに今回の難しさがある。

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