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【新聞に喝!】パリ講和会議100年、なぜ報道しないのか 元東京大学史料編纂所教授・酒井信彦

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 今年の1月18日は、いかなる日であったか。それは第一次世界大戦終結後に行われたパリ講和会議が100年前に開幕した日なのである。世界史的に極めて記念すべき日なのに、これを報道した新聞は全くなかったようだ。

 パリ講和会議で決められた事項で最も重要なものは、米国のウィルソン大統領が提唱していた「民族自決・民族独立の原則」に基づいて、欧州に、北はフィンランドから南はユーゴスラビアに至る独立国が一挙に出現したことである。

 それは同時に、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ロシア、トルコ-4つの帝国が滅亡したことでもあった。すなわち、帝国の下で抑圧されていた民族が独立するという歴史の大きな進歩が実現したわけである。

 ただし、この時に独立したのは欧州の国だけだった。その後、中東の旧トルコ帝国領から独立国が出てくるが、アジアやアフリカについては、「民族自決・民族独立の原則」は基本的に適用されず、広範に植民地が存続することになった。

 また、このパリ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃案は、賛成が反対を上回ったが、議長のウィルソン大統領の裁定で成立しなかった。米国自身が、深刻な人種差別問題を抱えており、まもなく日本人移民も禁止された。

 しかしその後、第二次世界大戦を契機に、数百年も続いてきた植民地支配体制が崩壊し、アジア・アフリカに実に多数の独立国が誕生することになった。さらに、アフリカの独立に影響されて、米国の人種差別問題も改善されるようになった。

 ただ、民族独立の動きはその後も続く。それは今から約30年前、ソビエト連邦(ソ連)が崩壊したことで、連邦を構成していた15の共和国が独立した。それに続いて、チェコとスロバキアが分離し、ユーゴスラビアは内戦を経て7カ国に分裂した。

 それでもなお、独立すべき民族が抑圧されている地域がある。それはわが国の目の前にある中華人民共和国に他ならない。

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