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【元号の風景】(2)養老(717~724年) 岐阜・養老町

 古代の朝廷には、さまざまな陰謀がめぐっていた。元正の時代、最大の権力者は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)とともに「大化の改新」をなしとげた中臣鎌足(なかとみのかまたり)の息子、藤原不比等(ふじわらのふひと)であった。元正が主人公の作家・永井路子の長編『美貌の女帝』を借用すれば、不比等の最大のネライは自分の娘と、元正の弟・文武天皇との間に生まれた首皇子(おびとのみこ)(のちの聖武天皇)を、すぐにでも天皇位に就けることだった。

 「異例中の異例といわねばならない」と永井が書いた元正の即位は、首皇子の即位をすこしでも遅らせるという目的があった。元正の祖父は「壬申の乱」で勝利した天武天皇で、奈良・吉野を出た天武は美濃国ら周辺の豪族をつぎつぎと身方につけた。

 祖父の足跡を辿(たど)るような行幸のあと、元正は美濃国司らを昇進させ、税の免除も行った。不測の事態が起きたさい、「また身方になってネ」というメッセージを伝えるのが目的だったらしい。

 「お肌ピカピカ」のためにだけ、やって来たわけではないのである。(客員論説委員 福嶋敏雄)

                   

 ■女帝の時代

 6世紀末から8世紀にわたる200年間には6人の女帝が誕生し、「女帝の時代」ともいわれる。最初の女帝は推古(すいこ)天皇(在位592~628年)で、皇太子の聖徳太子に国政を任せた。その後も皇極(こうぎょく)(重祚(ちょうそ)して斉明(さいめい))、持統(じとう)、元明(げんめい)、元正、孝謙(こうけん)(重祚して称徳(しょうとく))と8代の女帝が天皇位についた。重祚とは、一度退位した天皇が再び皇位につくことである。「女帝は“つなぎ”」といわれるが、持統のように大きな権力を持ち、律令政治の基礎を固めた女帝もいた。

●=言の両側に糸、下に女

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