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【元号の風景】(2)養老(717~724年) 岐阜・養老町

養老の滝から流れてくる河川。元正天皇はこの付近を行幸した
養老の滝から流れてくる河川。元正天皇はこの付近を行幸した

 ■女帝・元正の美肌と思惑

 白地に黒と赤のマダラが入った鯉(こい)が、ゆっくりとおよいでいた。そのあとを黒い鯉が追いかけていたが、突然、尾ヒレを激しく動かすと、池底の泥砂が黒い煙のようにひろがり、なにも見えなくなった。

 そんなには広くはなく、そんなにはキレイとは言えない池は、不老池と呼ばれる。だがわきを流れる小川は澄みきり、川底の小石がヌメヌメとひかっていた。小川沿いに登れば、「養老の滝」に行きつくはずだ。

 養老山の麓(ふもと)にひろがる坂道を、30分ほどかけて登ってきた。すでに青息吐息、土産物店のオバさんから、滝まではあと半キロはあると訊(き)かされ、あっさりとあきらめた。滝見物が目的ではないうえ、「養老の滝」のノレンはなんどかくぐり、すでに“見物済み”でもあった。

 池をぐるりとまわったところに、「元正(げんしょう)天皇行幸(ぎょうこう)遺跡」と刻まれた、真新しい石標が建っていた。「遺跡」とあるが、狭い石段をのぼった暗い森のなかに、ちいさな祠(ほこら)がポツンと建っているだけだった。

 「養老改元 1300年記念」という碑があった。養老改元は717年だから、「+1300=2017」、つまり一昨年に建てられたらしい。

 「続日本紀(しょくにほんぎ)」によると、女帝である元正は霊亀(れいき)3(717)年9月、近江国などを経て、この地に訪れ、美泉をご覧になった、とある。数日間ほど滞在し、奈良・平城京に戻ったが、訪れた目的の記載はない。2カ月後、唐突につぎのような詔(みことのり)をはっした。

 「(美泉で)手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになるようであった。また痛いところを洗うと、痛みが全く除かれてしまった」(訳文)

 元正は未婚で、このとき38歳。原文には「沈静婉●(えんれん)」とあり、もの静かで、若々しく美しかった。だがお肌の曲がりかどの年齢だけに、美泉がいたく気にいったらしい。「美泉をもって老いを養うべし」と、「養老」への改元を決めた。「お肌ピカピカ」で改元されたのは、あとにもさきにも「養老」くらいであろう。

 だが都(みやこ)から遠く離れたこの地まで、なぜ足をのばしたのだろうか。

 ◆祖父ゆずりの懐柔策

 切りたった崖沿いの道の途中には、テラスのある喫茶店や、料亭などもあった。平日の午後、訪れる人もなく、乾いた葉の摺(す)れる音とともに、地虫の鳴き声が耳朶(じだ)をめぐった。元正を乗せた輿(こし)も、このあたりをめぐったはずである。

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