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【日曜に書く】ジャズピアニストの若き日 論説委員・別府育郎

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 ドラマーの猪俣猛、女優、歌手の水谷八重子、クラリネットの北村英治。弔辞を読んだ音楽仲間は皆、前田の本名・暢人(のぶひと)から、遺影に「のぶちん」と愛称で呼びかけ、ジャズや酒、いたずらについて故人の逸話を披露した。60年以上の付き合いという音楽家の服部克久は葬儀委員長として「まだしばらくは仕事をしたいと思っておりますので、のぶちんも、上の方からぜひ見守ってもらいたい」とあいさつした。

 その横で、長年前田に連れ添った田中聖健が、両手の指を反り返らせて直立する姿が印象的だった。30歳で弟子入りを断られてマネジャーとなり、足かけ44年。田中は「前田先生はアレンジャーとして日本のジャズを牽引(けんいん)された。先生のお役に立つことが僕の人生でした。満足です」と話した。

 田中にとって、葬儀の仕切りは、一世一代の大仕事だったろう。涙あり、笑いありの式を終え、前田を納めた棺(ひつぎ)は、北村らの生演奏による「A列車で行こう」に送られた。

 田中によれば「紙のピアノ」は実際に長く前田の手元にあり、「それいいねえ」と気に入った宮川泰が譲り受けたのだという。和製ポップスのパイオニア、宮川も、山路も、すでに亡い。

東京オリンピック

 独学でジャズと編曲を習得した前田は、高校卒業後にプロとなり、上京した。

 大正の黎明(れいめい)から昭和50年までを膨大な証言でつづった内田晃一の大著「日本のジャズ史」に前田が初登場するのは、30年9月29日。沢田駿吾とダブルビーツのピアニスト守安祥太郎が仕事場に現れず、急ぎ代演に呼ばれたのが、当時20歳の前田だった。モカンボ・セッションで本場のジャズメンを驚愕(きょうがく)させた天才守安はこの前日、山手線に飛び込み、亡くなっていた。

 アレンジャーとしても頭角を現した前田は、39年に開催された東京五輪の体操女子床運動の演技では、マットの横で、盟友の服部らとともに、ピアノによる伴奏曲を生で弾いた。前田29歳、服部27歳の秋である。

 2人に、五輪の思い出を聞いたことがある。「前の東京五輪は、私ら若い人にチャンスをくれた。次の東京五輪も、そういう大会であってほしいね」。そう話す服部の横で、前田は「いいこと言うねえ」と腕を組み、うれしそうに笑っていた。

 わずか2年前のことだ。(べっぷ いくろう)

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