PR

ニュース コラム

【解答乱麻】教育勅語批判の矛盾点 武蔵野大教授・貝塚茂樹

Messenger

 今年10月に就任した柴山昌彦文部科学相の教育勅語に関する発言が話題となった。「同胞を大切にするとか、国際的協調を重んじるといった基本的な記載内容について、現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、検討に値する」という趣旨の発言である。多くのマスコミや野党は挙(こぞ)ってこの発言を問題視した。しかし、私にはこの発言のどこが問題なのかが何度読んでも理解できない。

 「問題だ」と批判するのは勝手だ。ところがその多くは、教育勅語の歴史や内容を理解しての批判とは思えない。内容どころか、「問題だ」という人々のほとんどは教育勅語を正確に読めないのではないか。教育勅語を読んだこともない人々が、感情的に教育勅語を「問題だ」と騒ぎ立てることの異常。こうしたお粗末で滑稽な状況が、戦後70年繰り返された教育勅語問題の本質のように思える。

 この1年に限っても教育勅語関連の書籍は複数刊行されたが、基本的な枠組みは従来と変わりはない。明治以来の近代教育の目的は天皇制を浸透させることにあり、学校は「天皇制支配のイデオロギー装置」である。そしてその目的を実現するための中核となった理念が教育勅語であり、その渙発(かんぱつ)から敗戦まで教育を「実効支配」していた。また、教育勅語は日本を戦争に導いた「張本人」であり軍国主義や超国家主義の「母胎」である。基本的な批判のモチーフはこんなところであろう。

 私は、これまでもこうした歴史解釈について異議を呈してきた。ただし未(いま)だにまともな反論に接したことはない。ぜひとも以下の質問に答えて頂(いただ)きたい。

 (1)教育勅語は「不磨の大典」であり、一切の批判や恣意(しい)的な解釈が許されないという。ところが実際に刊行された教育勅語の解説書の数は実に300を超えている。教育勅語渙発以後も教育勅語の改訂・追加の議論が続き、帝国議会では教育勅語の撤回論まで議論されている。これはどう解釈できるのか。

続きを読む

あなたへのおすすめ

PR

PR

PR

PR

ランキング

ブランドコンテンツ