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【思ふことあり】スポーツジャーナリスト・増田明美 忘れられない手のぬくもり

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男子を制したマルセル・フグ(左手前)。同奥は2位の鈴木朋樹=大分市営陸上競技場
男子を制したマルセル・フグ(左手前)。同奥は2位の鈴木朋樹=大分市営陸上競技場

 世界初の車いすランナーだけのマラソン大会、大分国際車いすマラソンが11月18日に大分市内で開催された。第38回となる。私はゲスト解説者として参加したが、大会の裾野の広さに驚いた。スタートを待つ人の中には世界記録保持者やリオデジャネイロ・パラリンピックの金メダリストがいた。また、毎年参加していると話す92歳の工藤金次郎さんや81歳の宇賀治孝一さんの姿も。16の国と地域からフルマラソン79人、ハーフ173人がエントリーという国際的な規模にも感動した。

 「でも大会が始まったころは障害者を見せ物にするのか、って否定的な意見が多かったんですよ」と大会関係者。今でこそテレビ中継されるなど関心が高まっているが、ここに至るまでの苦労がうかがえる。

 この大会の提唱者は中村裕さん(1927~84)。医師であり、日本パラリンピックの父といわれる方だ。私は大会2日前、別府市にある「太陽の家」を訪ねた。65年に中村さんが設立した社会福祉法人である。理事長の山下達夫さんにご案内をいただき、資料館や工場を見学し、苦難の歴史を知ることができた。

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 中村さんはリハビリテーションを研究する整形外科医だった。日本では脊髄損傷の患者は安静にすることが常識だった60年に英国の国立脊髄損傷センター(ストーク・マンデビル病院)で半年間研修。そこで患者さんたちが社会復帰のためにスポーツに取り組む姿を見て衝撃を受け帰国した。

 そして、翌61年に第1回大分県身体障害者体育大会を開催する。この行動力がすごい。また、64年の東京パラリンピックの誘致にも尽力し、成功したのだ。

 だが、選手団長を務めた東京パラリンピックで再び衝撃を受けたようだ。「海外選手はほとんどの人が仕事を持って競技をしているのに、日本選手は53人中5人しか仕事をしていなかったのです」と山下さん。そこで中村さんは翌年、障害者が自立するための施設、つまり仕事をする場所「太陽の家」を設立した。

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