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【日曜に書く】昭和20年代の産経を読む 論説委員・河村直哉

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 昭和20年代の産経新聞を、ざっとだが見終えた。

 数年来、折があれば古い紙面を繰ってきた。量が膨大で進まなかったが、今年、産経が創刊85周年となって関連する仕事をしたこともあり、加速させた。

 20年代を繰った段階でしかなく、私見であることをお断りしておきたい。その上で、弊紙の左傾勢力との戦いが戦後すぐに始まり、この年代をほぼ貫いていることを報告したい。自慢でいうのではない。保守の歩みを考える資料になればと考えている。年は昭和、引用は大阪本社版の紙面から。

終戦直後のコラムに

 8年、前身の日本工業新聞が大阪で創刊され、17年、産業経済新聞となった。25年に東京での印刷も始めた。

 戦後しばらくまで産経は産業と経済を中心に報じる新聞だった。この立場が、頻発する過激な労働争議と、その思想的な背骨をなす共産主義への批判へと向かわせたことは、以前も少し触れた。過激な争議は生産を妨げるからである。

 20年11月2日の1面コラムは、労働組合が「職業的指導者に操られることを避け」るべきだとした。21年2月6日の社説(現在の「主張」)は「争議が尖鋭(せんえい)化し」「破壊的行為」になっていることを批判した。

 帝国主義国を戦わせ、内乱に転化させ、混乱させ、革命を起こさせる-。ロシア革命を指導したレーニンにはそんな発想がある。過激な争議も敗戦後の混乱に乗じた革命の手段となる。

 社説はそのような意図に導かれた争議を繰り返し批判した。「労働運動が暴力革命的な要素によって扇動される危険については、政府も国民も十分に批判し対抗しなければならない」(24年6月20日)

自立への思い強く

 25年には一般紙となった。東西対立は激化し、同年、朝鮮戦争が起こる。労働争議にとどまらず、左傾する日本の各方面の動きが批判の対象になった。

 頻発する学生運動を社説は「美名に踊らせられやすい学生層を使う極左派の戦法」(25年6月2日)と断じた。日教組や総評の偏向なども20年代から批判している。

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