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【産経抄】10月24日

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 日本の人口の増減がわかるのは、江戸時代の後半からである。8代将軍吉宗が、1721年から調査を命じたからだ。科学史家の板倉聖宣(きよのぶ)さんによると、当時を境にして日本全国の人口は、減少に転じる。それに伴う年貢収納量の変化は、幕府にとって重大問題だった。

 ▼もちろん、地域によって事情が違う。長州藩や薩摩藩ではむしろ増加していた。つまり明治維新とは、江戸時代後半にも経済成長を続けていた西南諸藩が、停滞した関東・東北勢を圧倒して起こした革命だった(『日本史再発見』)。

 ▼元号が「明治」と改元されたのは、慶応4年9月8日、陽暦で10月23日、150年前のきのうである。政府が開催した記念式典で安倍晋三首相は、「明治の人々に倣い、どんな困難にもひるむことなく、未来を切り開いていく」と決意を表明した。

 ▼首相の念頭にあるのは、急速な少子高齢化と激変する世界情勢、内と外で日本が直面している「国難」である。確かに150年前の日本にも、西欧列強による植民地化の危機が迫っていた。明治政府は独立を守るために、近代国家建設に邁進(まいしん)していた。

 ▼では人口問題はどうか。農民にとっては年貢が地租に変わっただけで、生活はかえって苦しくなったとの指摘もある。ただ実際は明治以後、人口は全国で急増する。江戸時代後期に発展が遅れた地域ほど、増加の度合いは大きかった。幕府や諸藩が何度も改革を試みながらはね返された国難を、明治という時代はいかに乗り越えたのか。

 ▼板倉さんの答えは明快である。「百姓たちは明治維新を明るい時代と感じたのである。これまでのように子どもを間引かなくて育てても、明るく何とか生きていける時代であると感ずることができたのだ」

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