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【主張】体育の日 歴史と意義を顧みる機に

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 国民の祝日には、それぞれに成り立ちと意義がある。「体育の日」と聞いて、54年前の輝かしい記憶と結びつける国民がどれほどいるのか、気にかかる。

 「ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」と、昭和天皇の声が秋晴れの空に響き渡ったのは、昭和39(1964)年の10月10日だった。

 アジアで初めてとなる聖火が国立競技場にともった、日本人にとって忘れがたい一日である。

 「体育の日」として国民の祝日になったのは、2年後の41年だった。平成12年の制度変更で10月の第2月曜日となり、今年は8日がその日に当たる。

 しかし、体育の日は先人の流した多くの汗を抜きに語れない。先の大戦で焦土となった東京に復興の槌音(つちおと)を響かせ、終戦から19年で五輪開催にこぎつけた。

 日の丸を背負った選手たちは16個の金メダルを獲得することで、敗戦の痛手にもしおれなかった国民の姿を体現してくれた。本来の意義を語り継ぐためにも、10月10日に戻すことが望ましい。

 2度目の東京五輪を迎える2020年には、体育の日は開幕日の7月24日に移される。首都圏の交通需要を緩和するための臨時措置とはいえ、祝日の持つ歴史をあまりに軽視していないか。

 20年大会には早くも「酷暑の五輪」のレッテルが貼られ、暑熱対策は急務だ。大会組織委員会が掲げる「選手第一」にはほど遠い開催時期であり、観客やボランティアにも過酷な季節である。

 振り返れば、前回の東京五輪は選手にも観客にも優しい季節に開かれた。台風など悪天候の恐れがほとんどない、秋のさわやかな気候は「スポーツの秋」という慣習も国民に定着させた。先人が残してくれた遺産だろう。

 夏季五輪は世界のプロスポーツのカレンダーに配慮し、7~8月の実施が当たり前となったが、この際に、日本が開催時期の課題を提起してもいい。

 昨今の日本のスポーツ界は不祥事が絶えず、世界の先導役として胸を張るどころか、負のイメージを強めている。競技環境は半世紀前と比べようもないほど恵まれながら、スポーツの価値を自ら下げているのは残念だ。

 「体育の日」を機に、スポーツ界はわが身を省みて、襟を正す一日としてほしい。

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