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【オリンピズム 道 東京へ】日本卓球界のホープ・張本智和(2)「ラケットより鉛筆」の幼少期

幼少期の張本。小学生になると、勉強でも卓球でも才能を示し始めた
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 長さ2・74メートルの台を挟んで球を打ち合う卓球のスマッシュの初速は、プロ選手で160キロにも及ぶといわれる。球を打ってから、自分のもとに球が返ってくるまでの時間は0・5秒にも満たない。一瞬の判断力が問われるこの競技で、張本智和(エリートアカデミー)が針に糸を通すように精緻なショットを打てるのは、幼少期からの鍛錬の積み重ねがあってこそだ。

 ただ、卓球を始めた頃は親が付きっきりで球を打ち合う「英才教育」とはほど遠いものだった。そもそも、強豪中国のプロ選手だった両親は愛息を選手として育てるつもりはなかった。

 卓球が国技として親しまれる中国で、他国選手への敗北は許されない。1995年の世界選手権中国代表だった母の凌さんは、厳しい環境下に置かれた自身の経験から「子供にはプロとしてやらせたくない」という思いが強かったという。

 このため、教育方針は「卓球よりも勉強」。「英語は耳から」と英会話教室に3歳のころから通い、小学校時代も学習塾の学研に週2回通った。「将来は東北大学に」という両親の強い思いもあり、学校から帰ると、ラケットよりも先に鉛筆を握らされた。午後5時からの卓球練習は必ず「宿題を終わらせてから行く。塾の宿題は朝、学校に行く前に終わらせた」(父の宇さん)。

 少年は大好きな卓球を1分でも長くやるため、集中して机に向かった。生来の賢さに加え、格段に集中力も高まり、成績は優秀そのもの。学研の広報担当者によると、同社主催の小学校全国共通の国語と算数テストで計4回、全国1位になったこともある。

 「卓球では頭が良い選手が勝つ。短い時間に、どうすれば相手がミスするか考える人間を、考えもせずダラダラとプレーする人間は打ち負かせない」。インターハイ(高校総体)常連校の元監督(76)が指摘するように、張本は小学生のころから賢さも武器としつつ一流選手としての実力を付けていった。小学4年の時にすでに、卓球日本一を決める全日本選手権一般の部に出場できるだけの力も備えた。とはいえ、問題がないわけではなかった。

 中国人の両親の下に生まれた張本が「日本国籍を有する」という選手権の出場要件を満たしていなかったからだ。

 父の宇さんは「想像していたよりも、早く選択の時が来ました…」と当時直面した複雑な心境を明かす。

 後々、中国に戻ってコーチになろうと思っていた両親は息子の思いを尊重し、こう尋ねた。

 「全日本に出たいか?」

 「うん、出たい」

 無邪気にこう答える幼い少年に、それがどれほど重い決断だったのか、分からなかった。

 張本は2014年、日本卓球協会の推薦も受け、宇さん、妹の美和さんとともに国籍を変えた。小学5年直前の春だった。(川峯千尋)

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