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【オリンピズム 道 東京へ】日本卓球界のホープ・張本智和(1)世界驚かす「100年に一人の逸材」

ジャパンオープンで得点を奪い吠える張本=6月、北九州市(松永渉平撮影)
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 これでもか、と言わんばかりに体を大きくのけぞらせ、「チョレイ」と絶叫する-。みずみずしい少年の感情の発露。日本卓球界に登場した新星・張本智和(エリートアカデミー)は、会場の隅に陣取るファンにまで響く独特の雄たけびで自身を奮い立たせ、日本の頂点に立つまでに急成長した。

 世界ジュニア選手権、ワールドツアー、全日本選手権…。15歳の少年が手にした数々のタイトルにはすべて“史上最年少記録”の冠が付く。昨年5月、ドイツで開かれた世界選手権2回戦ではリオデジャネイロ五輪・銅メダリストの水谷隼(木下グループ)を4-1で破り、世界の卓球界を驚かせるに至った。

 水谷といえば、日本卓球界が誇る至宝だ。北日本卓球大会元優勝者の鈴木和好氏(59)は、水谷の中学時代の試合の主審を務めた際、「天才とはこういう選手のことを指すのだ」と感心した記憶が残る。「水谷が進んだ青森山田高の実力は日本で抜きんでており、外国で練習しているエースや2番手は、インターハイ(高校総体)のためだけに日本に来ないと指導者から聞いたことがある」(鈴木氏)。この高校で鍛えられ、世界的な実力者へと成長した天才・水谷を、13歳の張本が倒したのである。史上最年少での日本代表として抜擢(ばってき)した倉嶋洋介監督も思わず、「末恐ろしい」と漏らした。

 今年1月の全日本選手権決勝。周囲が固唾をのむ中、史上初10度目優勝を狙う水谷を張本がまたしても撃破した。

 水谷の次の言葉が敗北した衝撃の強さを物語る。「張本が出てくる前に、たくさん優勝しておいてよかった。今日の彼が100%なら、何回やっても勝てない…」。世代交代を印象づけるには、あまりに十分な舞台だった。

 14歳208日での栄冠は、水谷が打ち立てた17歳7カ月の最年少記録を大幅に更新。2度も“憧れの人”を破った張本は、少年らしくはにかみながらも「これからは自分の時代にしたい」と宣言した。

 「100年に一人の逸材」と日本卓球協会の宮崎義仁強化本部長がほれ込む張本と卓球との出合いは必然だった。

 両親はともに強豪中国で活躍した元卓球選手だ。父・宇さんと母・凌さんは引退後、1998年に国民的人気を誇る福原愛(ANA)らを輩出した名門・仙台ジュニアクラブのコーチとして招聘(しょうへい)され、宮城県仙台市に移り住んだ。

 2003年6月27日に産声を上げた張本がやがて向かった先は保育園ではなく、卓球の練習場。初めはクラブの生徒とともにピンポン球を拾って遊び、2歳になるとラケットを握った。高さ76センチの卓球台に身長が届かず、「イスの上に立って球を打った記憶がある」。ラリーができるようになり、すぐ頭角を現した。

 小学校1年生から、全日本選手権世代別カテゴリー・バンビの部(小2以下)、カブの部(小4以下)、ホープスの部(小6以下)で男子初の6連覇を達成する。このとき、宮崎強化本部長は確信したという。

 「彼のポテンシャルなら2020年に間に合う。いや、間に合うどころか、エースになるかもしれない」(川峯千尋)

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