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【正論】台湾に生きた明治日本人の精神 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

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【正論】
台湾に生きた明治日本人の精神 拓殖大学学事顧問・渡辺利夫

 ≪「職分」を全うすることが務め

 粒々辛苦といえば、「蓬莱(ほうらい)米」の開発に20年近い歳月をかけ、ついに成功した人物に磯永吉がいる。磯が東北帝国大学農科大学を卒業し、台湾総督府に赴いたのは、八田よりやや遅れて明治45年だった。主食たる米の不足の解消という課題への挑戦であった。

 稲の品種改良とは、優れた特徴をもつ品種の雌蕊(めしべ)に別の優れた特徴をもつ品種の花粉を付着させて交配し、双方の優良な特徴をあわせもつ新品種を創出することである。人工交配というただひたすらに単調な仕事を重ね、ようやくにして手にできるほとんど僥倖(ぎょうこう)というべきものである。

 前方に曙光(しょこう)のみえない作業を続けることほど、人間をひどい無力感に貶(おとし)めるものはない。常人なら精根尽き果てるであろうが、磯の持ち前は根気であった。

 八田も磯も明治19年の出生である。いずれも帝国大学出身のエリートであり、技師であった。2人を衝(つ)き動かしていたものは、技師として全うすべき「職分」であったのに違いない。18年に陸軍大学を卒業、19年には陸軍騎兵大尉に任じられた秋山好古に、司馬遼太郎はこう語らせている。

 「軍人というのは、おのれと兵を強くしていざ戦いの場合、この国家を敵国に勝たしめるのが職分だ」「それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がそのぶんだけ曇り、みだれる」

 台湾統治にエリート技師としての職分を存分に果たした八田と磯という2人の日本人の中に、私は明治の精神をのぞきみている。(わたなべ としお)

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