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【正論】歴史には「進歩」も「必然」もない 筑波大学大学院教授・古田博司

古田博司・筑波大学大学院教授
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 1970年代、フランス人が「大きな物語」が終わった、近代が終わったと騒ぎだした。イギリス人は91年にソ連が崩壊したとき、近代が終わったとしらっと言った。ドイツ人は90年代に終わったのは小さな近代だ、これからが本格的な近代なのだ、もう一回やるから「再帰的近代化」だと強気だったが、やがてうやむやになった。アメリカ人は特別で、古代も中世もないから、近代という時代区分に関心がない。彼らにとってはいつも現代だ。

 《ドイツ哲学にだまされた

 日本人はどうかといえば、長く続いたドイツ哲学の教育体系のせいで、どっぷりと「近代」につかっていた。「歴史は進歩する」と信じていた。冷静に考えれば、そんなことはあり得ないことだ。15世紀に古代帝国として出現したインカは、16世紀に中世スペインからやってきたピサロに滅ぼされてしまったではないか。古代と中世が同時期に共存しているし、一方は古代で終わっている。

 「ありゃ。だまされた」と思った人が「歴史はギザギザしている」と言い出した。そう、だまされていたのだ、ヘーゲルとマルクスに。哲学者の廣松渉さんが「ヘーゲル本人としては、父なる神の時代、子なる神の時代、それにつづく聖霊なる神の時代という具合に歴史が展開すると考えているわけでして、彼の考えでは、自分は聖霊なる神の時代の予言者のつもりだったのではないか」(五木寛之・廣松渉『哲学に何ができるか』)と言っている。

 マルクスの場合はもっと巧妙で、歴史は段階を踏んで進歩する、最終的には社会主義、共産主義が来るので安心して頑張ろうと革命家たちを励ました。結果、いくつかの国で革命がおき、社会主義体制になり、専制支配と身分制で多くの人々が不幸になった。

 第一、専制支配と身分制は古代の特徴ではないか。そこに国家が農民を直接搾取する「農業の集団化」がなされたから大変なことになった。これぞ、古代経済への回帰ではなかったか。

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